1844年:松浦武四郎が蝦夷地探検出発 について知っていることをぜひ教えてください
武四郎は合計5回も室蘭を訪れています。
東西蝦夷地を訪れるには、函館近辺から噴火湾を渡って室蘭の港に入るのが近道ですから、訪れたと言うより、通過した場合もあったかもしれません。
その中でも1回目の来室蘭の折には、絵鞆から追直までの記述が残っているそうです。残りの4回はモロラン道を行ったそうですから、現在の崎守辺りから八丁平を越えて知利別辺りに抜けたことでしょう。
1回目のとき、追直から先の通り道が不明だそうです。そこから絵鞆まで引き返して、本室蘭(崎守)に渡ってモロラン道を行ったというのは、どうも不自然に感じます。
追直まで行ったのなら、そこから先はアイヌ道を通ってイタンキ浜・鷲別あたりに抜けたのではないかと推測したくなります。
母恋辺りからイタンキまで、現在でもはっきりとトレイル(フットパス)が残っており、現在の観光道路よりも直線的に鷲別方面へ抜けることができます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%B5%A6%E6%AD%A6%E5%9B%9B%E9%83%8E
https://www.kitakaido.com/menu/takeshirow/takeshirow-22.html