海の街閖上にかつて鉄道が届いていた時期がある。増東軌道(ぞうとうきどう)は1926(大正15)年11月21日〜1939(昭和14)年9月19日の期間。
旧日本鉄道増田駅(現JR東日本東北線名取駅)から、閖上駅閖上まちカフェの近く)まで。現在の宮城県道129号閖上港線を軌道としていた。陸の街道増田と海の道の閖上を繋ぐ努力をした人々がいたことに感動します。

 

かつては、この周辺は「上町」、東に向かって「中町」「下町」と呼ばれていたました。さらに南の街は、「新町」と呼ばれていたようです。

閖上駅の駅が中心になっていたことがわかります。

近辺には、映画館・町役場・銭湯もありました。


今ではその面影は少なくなりました。

しかし、閖上駅跡を見ると、少し道沿いが広がっていることがわかります。

確かに、かつてはこの場所に軌道が通っていたのです。


どのような想いで、どんな人々がこの軌道が敷かれたのか、ご存知の方は是非、記事を書き足して下さい。