会所はどこにあったのか? について知っていることをぜひ教えてください

 刈田神社の壁に掲示していた「延叙歴真図」という昔の鳥瞰図だ、書かれた時代は明治初期のころだろうか?今は調べる余裕がないのであとで調べが付いたとき書き換えることにしよう。さて、幌別の会所はこの図の様に幌別川の左岸のほとりにありその横に神社の鳥居がある。神社の場所は大西宮司さんからの聞き取りで大体分かったのだが、会所の場所が定かでは無い。会所と神社の間はどのくらいの距離が会ったのあろうか?今日、おじさんずの高森さんに聞いた話だが、教育委員会のHさんが言うには、会所の表示くいはときめき橋の工事のときになくしてしまったという話らしい。これにつていは私からもHさんに尋ねてみることにしようと思う。

 さて、札幌本道に該当するルート沿いのときめき橋の海側の東隅に神社があったのは間違いないという話だ。ところが、明治35年の市街地図には札幌本道は神社の東側にあったという図があるのだ。それが正しいとすると札幌本道は神社と会所の間にあったことになるし、いまのときめき橋下の道は札幌本道では無いということになる。だから会所と神社の距離がきになるのだ。ここしばらくこの問題が誰かにきいたり調べたりしてすっきりと解決するまで気に留めておこう。