登別市の札幌本道・・市史ふるさと登別より について知っていることをぜひ教えてください

札幌本道について登別市の市史ではどのように当時を解説しているか

上巻269ページの「4、陸の動脈札幌本道」からかいつまんでメモします

明治5年3月18日工事開始

トキカラモイの仮桟橋地点に1番杭を打ち込んだ

この後1年5ヶ月の間に延べ150万人の手により全面開通した

地域   期間            官吏人員      人夫人員

鷲別  5月15日~11月24日   15610人   46524人

幌別  7月26日~11月25日    8902人   27689人

蘭法華 8月 9日~ 8月30日     439人    9266人

登別  8月 9日~ 9月12日     666人   12360人

「登別の片倉主従は明治4年8月に支配地御免、明治5年9月には士籍剥奪がなされ武士社会が解体されたため明日への希望を失う暗さに沈んでいた

そのときに札幌本道の着工発表があり幌別郡内はにわかに活気付いた」とある。

築造資金は開拓史が発行する紙幣でまかなった

築造責任者 榎本道章 陸地測量兼道路築造長 ワーフイールド 測量長 ワッソン

開拓史東京出張所を窓口として米、塩、建築資材、器具、人夫、職工の調達に当たらせた

人夫の募集は東京都内の4人の請負業者に扱わせ東京、伊豆、木曽、日光、南部などから雇い入れた

そのほか開拓史の役人を鹿児島まで特派して募集した

初年度中に雇った職工、人夫は5369人

以上、このつづきは気のむいたとき・・。