石工の川口さん について知っていることをぜひ教えてください

 登別軟石を登別に住み40年以上も掘っていた石工の川口栄夫(ひでお)さんにお会いした。かつて高見石材で働いていたこともあり、高見石材5代目からの紹介でお会いすることができた。

 電話でお話を聞きたいとお伝えしたところ「何も話すことなんかない」といっておられたのでお話しするのが嫌いで面倒なんだと感じましたが「働いていたときのことなら何でもいいのでお願いします」というと、わかったというような返事をいただいたが、お礼を言おうとすると「もう(電話を)きるぞ」とぷっつと切られてしまったのでかなりハードルが高いなと感じましたがご紹介されたのでまずは合わないとと思い、伺いました。

 伺っても開口一番「俺に話すことなんかない」といわれたので「石の作業のこと聞かせてください」とねばり、御自宅へ上がらせていただいた。川口さんは昭和6年生まれの現在87歳で、高見石材の4代目芳雄さんと同級生と聞いて40年以上この仕事についていたことを、なるほどと思いました。

 石の採掘は最初はフンベ山で行っていたが後にヘサンケの現在の石切り場へと移ったらしい。その間にランポッケでも採掘を行ったことがあるという。ランポッケは岬の周囲で落ちている軟石を加工したという。そういえば今も岬の突端に行けば、大きな軟石の巨石が落ちているのでそのようながれ場で小割したようだ。高見石材での仕事は山取り(やまどり)が主体で積や(つみや)は行わなかったそうだ。そのやまどりでは間知石が主体を占めていた。その他墓石や縁石なども加工したそうです。

 採掘は丈夫の火山灰を削って、熔結部をだして採掘するのだが火薬を用いることもあったようだ。火薬の使用方法の例としては熔結凝灰岩の上下は火山灰などで軟らかいので下部の軟らかいところに穴を掘って火薬を埋めて発破を起こし、硬い部分を転がり落とすというのだ。

 帰りしなに写真撮影の快諾を得て、それから今も大切に保管している石工時代の道具を見せてもらった。最初はお話を聞けるかどうかわからない状態で伺ったが、最後には「又来てもいいですか」と問いかけると川口さんはうなずいて了解を得た。私が帰るときには車が見えなくなるまでこちらを見送ってくれた。すてきなおじさん。ありがとう。