今年3度目の化物山行 について知っていることをぜひ教えてください

 令和2年5月17日、今年3度目の化物山登山へ行った。5月17日というと平野部は新緑がまぶしくそしてえ桜が満開で、山を見上げると山頂に少し雪が見えるくらいだったので、現地へ行こうにも雪の中から笹が出だして、山には簡単に登れないかもしれないと想像してはいたものの、いちおう確認して、だめだったら戻ろうとオロフレ峠付近まで車を走らせた。オロフレ峠の北側は南斜面と違ってまだゆきだそこここにへばりついていた。もしかしていけるかもしれないと、車を降りてかんじきとストックを引っ張り出し、雪原を歩き始めた。しかし、まだらに笹が林立し、通行を妨げてくる。行きつ戻りつ、袋小路に入つては出て、ようやく1058m峰の斜面にへばりつけた。この斜面は雪があるが、山頂は笹だらけで歩けないかもしれないとの思いが脳裏をかすめるが、ここまで来たからにはいってみようと歩を進めた。山頂付近はところどころ笹はあったがまだ1mほどの雪が残っていて、山頂部にあると思しき「オタシクマ(砂の山)」は見えなかった。落胆する思いをもちあげ、1077m化物山へは行けそうだったので、何もなくても一応見てくるかと決断し、化物山へと向かった。2度目に来た時にも少し、地面が出つつあったので、もしかしたら広い範囲で地面が見えるかもしれないとの期待があったのだ。

 なぜオタシクマを探すのか?ということだが昔、知里さんと山田さんが「室蘭登別のアイヌ語地名」の調査で知里高吉さんにオタシクマのことを聞いたと記載があるが、具体的な場所が明らかになっていなかった。このことを知人に聞いたときに思いだしたのが、30年前に1058m、1077m峰の山頂部に庭園状の砂地のような場所ががあったという記憶のことだ。これを30年ぶりに確かめたいと何度も化物山にトライしてみた。雪解け後に行けばいいのではないかと思うのだが、雪解け後は笹が林立し歩きにくいことと、低木が多いので植物を傷めることになるのは嫌だという理由から雪のある時の調査を思い立ったのだ。

 それとオタシクマ(この場所がそうだとしたら)はなぜ、周囲に火山の多いこの場所に残されたのだろうという疑問解決の目的もある。火山があると火山灰が降り注ぐので、砂原はすぐに埋められてしまうだろう。でも残っているということはなぜだろうと考えた。そこで思いついたのが氷河時代のように寒い時代に寒暖の繰り返しで砂や礫などが地中から浮き上がり、不思議な模様を作るという構造土とうのがあるが、ここの成因は構造土ではないかという推定もあったからなおさらここに行って確かめたいという気持ちが強くなったのだ。

 本日は1058m峰は雪だったが1077m峰の化物山は広い範囲で雪が融けていて地面が顔を出していた。しかし、30年前の記憶の中の日本庭園ではなかった。人もかなり来ているらしく、人の踏み跡もできていた。ここに砂場があったとしても落ち葉などの腐葉土が砂を覆ってしまったか、2020年の有珠山噴火などの火山灰がつもったか(ここまで飛んでないと思うが)?疑問は尽きないが、人の歩いた踏み跡に5mm程度の岩石や軽石の粒子が顕著にみられたので写真を撮ってみた。もしかして30年前はこのような岩石粒子がもっと顔御出していたのだろうか?でもこれがたくさん顔をだしていたらアイヌ民族の人たちは砂場という印象を得たかもしれない。とりあえず、1077峰化物山頂上にはこのような地質が残されている。