刈田神社前の海岸 

6000年前の縄文海進時代の時代のころは

ニナルカ大地や刈田神社前は海岸線の波打ち際だったと考えられます

そんな思いを抱いているときに、このあたりの地面を掘る工事を

行うことに成り、工事中に掘削面を見てみると案の定、石英に富んだ

淘汰のよい砂層が厚く堆積していた。鉄分が濃集して砂は茶色いが

綺麗な砂層だ。ときおり磁鉄鉱の黒い層がラミナを形成していて

波打ち際を連想させ、嬉々として砂をサンプリングして

倉沢保文さん(登別の化石林やクッタラ火山の研究家)のところへもって行った。