昔の人は歩いたもんだ について知っていることをぜひ教えてください

 

昭和9年生まれの佐々木勇二さんに聞いた話だが昔の子供たちは交通機関が発達していなかったせいかさらに貧しかったせいか、通学はどんなに遠くても徒歩が当たり前の時代だったらしく、そのためか、かなりの健脚の持ち主だったらしい。

たとえば幌別小学校高等科(今の中学生)の遠足コース(一例)
登別駅~中登別~クッタラ古道~四方嶺(今の熊牧場)~登別温泉(温泉に浸かる)~再び四方嶺~クッタラ湖~再び外輪山を越えて中登別~登別駅 

 このようなロングランの遠足でも当時はズック靴をもっている人が少なかったので下駄履きやはだしで遠足したものが多かったのだそうだ。昔の人は歩いたもんだね。みなさんのそばにいる熟年の方たちの遠足はどれくらいの距離があったか教えてください

幌別鉱山~幌別への徒歩通学は当たり前で、富岸~幌別小学校、川俣温泉付近から幌別、カルルスから幌別小学校へ通った子供もいるそうです。いつしか便利になって我々は歩かなくなりました。私も鉱山町に住んでいますが幌別からの距離は10キロあります。子供たちに「遊びに行きたければ歩いていけ」と冗談交じりで活を入れることがありますが、昔は冗談ではなく本当に歩いたのだと思うと当時は熊も多かったろうに本当に頭が下がります。