演劇舞台のダビンチが登別にいた について知っていることをぜひ教えてください

 その名を山田桂司(やまだけいじ)さんという。登別伊達得時代村で忍者を育てている方だ。その経歴は多彩で、若いときには俳優の世界である芸能界にも入ったが、そこは自分のいる世界では無いと感じ、演劇の世界にはいり直し、全国を回ったこともある。その後、日光江戸村や伊勢時代村などで仕事をしていましたが、2011年3月11日に宮城県の自宅周辺が津波で流され避難しているときに登別伊達時代村のの宮川社長さんから声がかかり登別伊達時代村へきて早や5年以上が過ぎた。

 山田さんは時代村で舞台の脚本、演出、殺陣指導、舞台美術、舞台装置作成、音響・照明などほぼ一人ですべてをこなしてしまうスーパーマンだ。それも半年に一度演目をリニューアルするので1年に5舞台を作っていることになる。ある意味で日本の演劇界のダビンチ的な魅力を感じる人なのです。昨年は動画を監督して「忍者の夢」という30分ほどのPR動画を作成したり、時間のあるときにしかできないが映画の撮影も少しずつとり組み始めた。

 山田さんは昔、宮大工さんに2年ほど付いて技法を学び、今では時代村の施設の補修でも何でもこなしてしまうほどだ。だから舞台の大道具や舞台美術の書き割り(かきわり)作成などなんなくひとりで作り上げてしまうのだ。そして武術は達人の域にあるのでは無いかと思うほど詳しいのだが、よく効くとプロの古武道家に3年ほど寝食をともにしながらの指導をうけその真髄を習得されたらしい。このように気になることはすべてその道の達人に師事して学び、なんでも広範囲にこなしてしまう人で、今は時代村の中の武道場で忍者や役者たちに殺陣指導と仁のこころを厳しく伝授しているそうだ。だから映画の「ラストサムライ」の殺陣指導の声がかかったときに日本の本来の武道や忍者のありあかたがゆがんで表現されてしまうのはいやだと考え、断ってしまったほどの志のある人なのだ。

 山田さんのライフワークは地方でだれもが気付かなかった人をクローズアップしてその経歴を研究し、その町の住民とともに作品を作り上げ上演することだ。今までいくつかの市町村と脚本、演出、舞台美術を担当し作り上げてきた作品がある。静岡市で作った「駿府の夢」。身延町で行った「九度山の脱出」。吉良町で作った「吉良左兵衛義周~もうひとつの忠臣蔵」。昔は郷ひろみの殺陣指導なども行ったことがあるそうだ。そして現在までに時代村では180本以上の作品の演出を手がけてきた。

 山田さんのような方が登別におられるうちになにか地域との取り組みで作品を作ることができたらいいなと考えている。