登別こけし について知っていることをぜひ教えてください
北乃博物館の若木館長から聞いたのだが、昔「登別こけし」とうのが登別界隈のみやげ物店に並んでいたそうだ。昭和30年代に登別にはお土産品になるものが少なくて、苦肉の策で考えたのが登別こけしだそうだ。他にも登別焼という陶器も販売していたそうだ。こけしの加工は仙台市のこけし職人の大原さんという人に依頼したそうだ。当時のみやげ物店には「登別こけし」と「登別焼」がどの店にも並んでいたようだ。
そもそも登別にこけしがお土産として誕生したのは、本州のみやげ物販売店の全国戦略のひとつだったらしく、他の町に声を掛けたように登別も観光地なので売れると思い声を掛けたようです。
東北にはこけし職人の流派が11くらいあるそうで、登別には佐藤さんの系統のご縁があるようです。その仙台の佐藤さんの流派の大原さんが登別こけしを担当し、登別に移住したそうだ。こけしひとつでも奥深いお話が浮かびあがってきますね。