明治30年の移転前の登別駅はランポッケ岬のすぐそば
登別駅は明治25年8月1日に駅として開業したが、水害の被害で明治30年12月1日に現在地へ移転した。明治30年の移転前の登別駅はランポッケ岬のすぐそばに建っていたことが明治29年の陸地測量部の地形図を読み解くとわかる。ずいぶん中心街から離れていたなと言う印象だが、もしかして、明治29年ごろまではランポッケ側のほうが栄えていて、水害で壊滅して駅の移転と同時に町の中心も移転したかどうか私が調べた範囲ではわからない。
その後、昭和10年3月30日に駅舎を大改装し、昭和50年代(昭和56年3月30日新聞の登別駅の写真では風除室がないのでこれ以降に改装したと思われる)に風除室の改修工事を行い現在に至っている。昭和10年の大改修では駅舎の壁面に登別石(登別軟石:登別溶結凝灰岩)の石材が随所にちりばめられ、他の駅に無い外観の趣をかもし出している。
登別石もどき
昭和40年代に風除室の工事を行ったときに、何を思ったかコストを削減するためなのか、登別石を使わないでモルタルに着色した造形壁面となっている。登別石であるか造形であるかは目を壁面にへばりつけて目を凝らさなければ素人には判断ができないが、登別駅に模造とは残念である。
この登別石の模造の範囲を追跡してみると、風除室ばかりではなくトイレの部分も模造になっているのがわかる。40年代の工事はいくつか分かれていた駅の建物を連結した可能性がある。しかし、駅には工事をした工事の記録が無く予想するしかない状態である。だれかがJRとかけあい、JR北海道の本社等の資料庫をあら捜しすればなにか新たな事実が突き止められるかもしれない。
明治30年の面影
最近は登別の商工会議所や市役所などが登別駅のリニューアルを検討している。登別駅は登別温泉の玄関口として活躍してきたが、旅行かばんをひっさげて階段を上り下りすることなどが不便であるということが理由のひとつらしい。駅舎の外観は昭和10年の顔を持つが、構造部はおそらく明治30年の面影を残していると思われる。駅舎天井の小屋裏にその手がかりが隠されているだろう。しかしリニューアルすることでどこにでもあるメタリックでこぎれいな駅舎は都会に行けばどこにでもあり個性や存在感が感じられるものではないと思う。できれば個性を失わず必要最低限の改修にしてほしいと思うのだが・・。
鬼っこゆ~くん
駅前にはこんなのもあります。「鬼っこゆ~くん」からぬるいお湯が出ています。昔はこの温泉でなにかに使用していたらしいです、使われなくなって、それが長く地中に眠っていて、それが最近思だされて掘り出して作ったらしいです。洋平君これの詳しいところ追記してくれないかな・・。