阿久津竹三郎さんの石碑 について知っていることをぜひ教えてください

 登別本町のアオノ産資さんの軟石採掘場の向いの針葉樹の林の中に「阿久津竹三郎」さんの石碑がある。今まで人がここに来るという場所にならなかったので、昨年まで草が伸び放題で荒れた土地になり人を寄せ付ける雰囲気がまったくなかった。しかし今年は草が刈り取られ、簡単に中に入ることができるようになった。

 この敷地の西側には昔からの古い道があり、江戸時代から使われていたらしい。我々はここを安政の道をいつしか呼んでいるが地元の人でもこの道が松浦武四郎や歴史上の多くの人物が通った道とはしらないようだ。この道から石碑施設内に入ると階段の左手に龍を削り込んだ珍しい石灯籠がおいてある。階段を登ると小さな2つの石灯籠の真ん中に阿久津竹三郎さんの石碑が立っている。

 階段も石垣も石碑の台座も登別軟石なのに石碑のみが御影石で異様な感じがする。昭和4年に書かれた菅原石材彫刻師さんの絵を見るとこれも登別軟石だった可能性が高い。軟石製の石碑が風化したため後年、御影石と取り替えられたのでは無いかと推定している。それと石碑の後ろにも何処にも建立の年月日や建立者名が書かれていないが、もしかして軟石の石碑の時には書かれていたが、風化して分からなくなり再建したときには記録読めず、何も書かずに建立したのではないかと考えている。これも阿久津さんの子孫の方にお会いして確かめたいことだと思っている。