鷲別の追分はどこだ? について知っていることをぜひ教えてください
鷲別には追分と呼ばれる交通の要所があった。追分から知利別を通り元室蘭へ延びる道路と追分から絵鞆へ通じる道の分岐点だ。ここに追分と名づけたらしい。この追分については今まで様々な研究者が「正確な位置が分からない」と言っていた。ところが黒澤さんに本年(平成30年)1月8日に2回目の聞き取りを行ったところ、現在のパロマ付近に3軒茶屋とよばれた宿泊所があったそうで、黒澤さんの先祖がそのうちの1件で営業していたそうだ。そこが追分だというアドバイスをいただきました。黒澤さんの祖父から直接聞いたお話だそうだ。さらに追分の目印はみつやまっこという3列の砂丘の丘だという。昭和10年ころはパロマ敷地~平成斎場横の発電所~自動車学校というルートで小高い高まりがあったそうだ。これが追分の道だという。私は今まで明治29年の陸地測量部の地形図にもある学田踏切りのルートが追分からの道だと考えていたが、驚きの口伝だ。
3軒茶屋を営んでいた期間は片倉家の移住から札幌本道ができるまでの短い間だというので明治3年から明治6年頃までと考えられる。札幌本道ができてからは道の幹線は現在の鷲別~室蘭までの道のりに移ったので追分は自然と廃れたのだそうだ。