コレラ(虎列刺病)は、明治時代、小田原町で夏場によく流行した感染症(1)。症状は、激しい発熱と吐き下しを伴った(1)。当時は、致死率が高く、流行時には隔離病棟が設置され、患者は隔離された(1)。
流行した年
- 1879年(明治12)8月(1)
- 1880年(明治13)8月(1)
- 1882年(明治15)7月(1)
- 1890年(明治23)8-9月、患者155人発生、うち124人が死亡(1)。
- 1895年(明治28)8-9月、患者138人発生、うち88人が死亡(1)。
流行の原因
流行の原因は、早川から取水している小田原用水の水質に衛生上の問題があるためだと早くから認知されており、『明治小田原町誌』には、1890年(明治23)にコレラが流行した際に、昼間は水道を断水し、飲用出来ないようにしていた旨がみえる(1)。
このため、別の水源地から水道を敷設することが計画されたが、実現までには時間を要した(水源地建設問題)(1)。
参考資料
- 播摩晃一「小田原町のコレラ流行と水道問題」播摩晃一ほか編『図説 小田原・足柄の歴史 下巻』郷土出版社、1994、28-29頁
- 「年表」同書148-151頁