万年町大火(まんねんちょうたいか)、小田原大火(おだわらたいか)は、1951年(昭和26)11月28日に万年町浜町)で発生し、375戸が全焼(1)ないし292棟が全半焼(2)した大火(1)(2)。焼失区域は8,400坪(約167m四方)、罹災者は321世帯1,479人に上ったが、死者・重傷者はなかった(ただし、手伝人?1人が急病死した)(2)

復興事業

火災の後、小田原市は、国と県の支援を受けて、罹災地となった万年町の区画整理を行い、また蓮正寺に罹災者向けの住宅(116戸)を建設した(2)

  • 1952年(昭和27)2月25日から3月末にかけて、都市計画事業街路として、幅員11mと8mの幹線街路の敷設工事が行われた(2)
  • 同年5月20日から7月末にかけて、幅員6mまたは4mの道路と配水管の敷設工事が行われた(2)
  • 区画整理(道路の拡張)によって不足することになった従来の住宅用地を代替するため、市は蓮正寺に6千坪(約141m四方)の敷地を購入し、災害国庫補助住宅として、1951年分48戸、1952年分48戸を建設することになり、前者は1952年8月に完工、後者は同年12月末竣工予定とされた(2)。また別に同年10月までに専用住宅20戸が建設された(2)

リンク

参考資料

  1. 「年表」播摩晃一ほか編『図説 小田原・足柄の歴史 下巻』郷土出版社、1994、148-151頁
  2. 小田原大火復興グラフ」小田原市役所『小田原市報』号外、1952年(昭和27)11月28日