京福寺京福寺(けいふくじ)、栖徳山は、久野にある曹洞宗の寺院。本尊は釈迦如来。開山は、久野・総世寺7世・大休宗恵(永禄11年・1568没)、開基は、北条幻庵の母(法名:栖徳寺殿華岩信公大禅定尼、天文23年(1554)4月5日没)(1)。江戸時代には総世寺の末寺だった(1)

沿革

縁起

『風土記稿』には、天文23年(1554)の創建(寛文12年の久野村の記録による)とある(1)。『皇国地誌久野村誌』は天文4乙申年(1539・乙未?或は天文24乙卯・1555誤か)の創立としている(2)

京福山栖徳寺

『風土記稿』に、寺伝によると、もともと京福寺の隣地には京福山栖徳寺という寺院があり、開山・開基とも京福寺と同じで、寺号と山号が互い違いになっていた。のちに栖徳寺は廃寺となり、寺域も京福寺に含められた、とある。(1)

  • 万治(1658-1661)・寛文(1661-1673)の頃の久野村の図に、字・七軒屋鋪に「栖徳寺」があり、その後の図では小名・坂下にあったとされている(1)。『風土記稿』は、その後、更に京福寺の隣地に移転したようだ、としている。
  • 本光寺文書の永禄3年(1560)2月の記録に、「栖徳寺」の名がみえる(1)

『皇国地誌久野村誌』は、栖徳寺は天文23(1554)に幻庵が亡き母の追善のために開建した、としている。後北条氏の滅亡後、補修や改築などの維持が難しくなり、延宝年間(1673-1681)、3世・宝山のときに京福寺と合寺することになったという(2)

境内

釈迦堂

境内の釈迦堂に、廃寺となった栖徳寺の本尊が安置されていた。高さ2尺6寸(約79cm)、行基の作という(1)

1978年(昭和53)に、「京福寺の釈迦三尊」が小田原市の文化財に指定されている(3)本尊の像高が79.0cmとあるので(3)、おそらく『風土記稿』にある栖徳寺の旧本尊のこと。

栖徳寺殿と北条幻庵の墓

境内に碑があり、幻庵の母・栖徳寺殿と幻庵の法諡が併記されていた(1)。北条幻庵の法号は「金龍院殿明心徹公大居士」、命日は天正5年(1577)11月1日とされていた(4)。『皇国地誌久野村誌』のときにも幻庵の墓が残っていた(2)。また「幻庵松」と呼ばれる松があった(2)

久野丹波守の墓

境内に久野丹波守の墓があった(2)

寺紋

本堂屋根主棟の寺紋(丸に三つ鱗

寺紋は「丸に三つ鱗」。(2019年調査)

リンク

参考資料

  1. 『風土記稿』 久野村 京福寺
  2. 田代道彌「皇国地誌久野村誌(草稿本)の発見」『おだわら 歴史と文化』第13号、小田原市役所企画部市史編さん課、2000年3月、41-42頁
  3. 小田原市文化部文化財課「彫刻・京福寺の釈迦三尊」小田原市公式サイト、最終更新 2013年5月31日
  4. 『風土記稿』 久野村 北条幻庵屋鋪蹟
  5. 寺院総覧編纂局『大日本寺院総覧』明治出版社、1916・大正5、p.519