佐奈田霊社(さなだれいしゃ)は、石橋の石橋山古戦場の、熱海道の念仏坂から石段を上った丘の上の、与一塚の近くにある、石橋山の合戦で戦死した佐奈田与一義忠の霊廟。(1)(2)
『風土記稿』には、与一塚の杉の木の前に、高さ6尺(約182cm)、幅2尺(約61cm)の石碑があり、「佐奈田与一義忠墓、治承四庚子年(1180)八月廿三日夜」と題してあったことがみえ、稲葉美濃守正則の家臣・田辺権太夫信吉が建立したものとされている(1)。
碑の上には覆屋が設けてあった、といい(1)、この覆屋が佐奈田霊社のもとになったと思われるが、堂宇の建立時期は未詳。
また2022年現在の霊社のご神体は鏡で、田辺信吉が建立した石碑の行方は未確認(2)。
2016年当時、佐奈田霊社は石橋の宝寿寺が管理しており、同寺の住職が霊社の山主を兼務していた(4)。
境内
与一塚
境内に与一塚(佐奈田与一の墳墓)があった(2)。
手附石
境内に手附石があった(2)。
明星観音
境内に観音堂があり、明星観世音菩薩と号していた(2)。
例祭日
『風土記稿』の頃、与一塚には毎年8月23日に集団で参詣する人が多く、参拝する際には松明を点して墳墓の前に手向けることが恒例になっていた、とされている(1)。
2022年現在の佐奈田霊社の行事予定では、特に8月に限らず毎月23日が例祭日とされている。また1月1日-3日に元旦日ノ出護摩供が行われている。(3)
寺紋
寺紋は「丸に三つ引き」(2)。
参考資料
- 『風土記稿』石橋村 佐奈田与一義忠墳
- 2022年調査
- 「佐奈田霊社 行事予定」現地案内板、設置時期不明、2022年閲覧
- 松島某「佐奈田霊社には長い歴史があります」原山主さんに聞く」小田原史談会、最終更新 2016年9月2日