剣持宗般(けんもちそうはん、? - 永禄2年(1559)3月13日) は、中世、洪水で荒廃していた曽比の村を開墾したとされる人物(1)。もともとは甲斐国から丹沢山方面に逃れてきた浪人だったという(4)。曽比の大泉寺を再興しようとしたが、実現しないまま永禄2年(1559)3月13日に死去(2)。その子某のとき堂宇が落成し、父の名をとって寺号を宗繁寺と改めた(2)。また村内の地蔵堂は、豊臣秀吉小田原攻めのとき戦火で焼失したのを、文禄年間(1592-1596)に宗般の子某が再建したと言い伝えられていた(3)

19世紀前半頃、その子孫・(剣持)庄左衛門の家では、宗般が所持していたという鎗を所蔵していた(4)。

参考資料

  1. 『風土記稿』大井庄 曽比村
  2. 『風土記稿』曽比村 宗般寺
  3. 『風土記稿』曽比村 地蔵堂
  4. 『風土記稿』曽比村 旧家庄左衛門