剱持酒店(けんもちさけてん)は、かつて小台の富士道沿いにあった酒店(1:25)。
小台の実業家・綾部粂次郎は酒造業で財を成したが、1912年(大正元)に4女に婿を迎えて事業を譲渡(1:25)。譲渡後の酒店は剱持酒店と号し、富士道沿いで営業していた(1:25)。
新しい酒店は、(1923・大正12)関東大震災の被害と、その他の不幸が重なり、1932年(昭和7)頃に人手に渡った(2)。
跡地は小沢新之助が預り、桑畑にして改良鼠返しを植えた(2)。戦争直後の晩秋蚕の出来がよく、200円以上の収益が出たため、その金でヤンマー発動機を購入し、養蚕業は止めて農業に転じた(2)。
1984年当時の跡地は梨畑になっていた(1:25)。
参考資料
- 穂坂正夫「綾部粂次郎翁頌徳碑」富水西北史談会 編『ききがたり 富水西北の歴史 第1巻』富水西北公民館、1984・昭和59、25-27頁
- 同書27頁、「小沢新之助氏の話」による。