勧堂勧堂(すすめどう)、御勧堂(おすすめどう)は、国府津3丁目の国道1号線南側(海側)にある、国府津・真楽寺の御堂。本尊は阿弥陀如来寿教寺という寺号もあった。(1)

安貞の頃(1227-1228)、親鸞が相模国を教化して回ったときに、当時は天台宗の寺院だった真楽寺の住職・性順(真楽寺性順)が親鸞に師事し、一宇を建てた。親鸞はここに7年間滞在してから、寺務を上足顕知に譲って京都へ帰ったとされ、お堂は、親鸞がそこで僧俗に教化をしていたことから、「勧堂」と呼ばれるようになった。(1)

文久3年(1863)12月の火災で堂宇を焼失(4)。1916年当時、石標(石碑)のみが残っていた(4)

本尊

本尊の阿弥陀如来像は、像高2尺(約61cm)で、恵心作と伝わる(1)

石碑

勧堂 入り口の石碑『風土記稿』によると、堂の傍らに「親鸞聖人御庵室」と彫られた高さ4尺(約121cm)の石碑が立てられていた(1)

2022年現在、勧堂への入り口付近に、同じ銘文の石碑がある(2)

銘文:

  • 表「親鸞聖人御庵室/御勧堂」
  • 裏「施主 江戸講中/取次小石川春日町/越後屋源八/願主 恵俊」

また、お堂の傍らには別の石碑がある(2)。その銘文:

  • 表「御勧堂/〔親鸞/聖人〕御草庵之旧蹟 勧堂」
  • 裏1「□為報恩謝徳寄附   〈東京市糀町五丁目〉建造費 高羽惣兵衛/妻千代」
  • 裏2「明治卅年(1897)五月 日   〔サヲ石 飯島善助/〈山口県山口〉寺山伊兵衛 書〕」

眺望

勧堂眺望図(『新編相模国風土記稿』より(3)『風土記稿』は、勧堂は、海浜にあって、眺望がとても美しい、と評している(1)

勧堂からの眺望2022年現在もお堂の裏手から海が見えるが、それほど眺めがよいということもないかと思う(写真)(2)

寺紋

寺紋は確認できず。(2019年調査)

参考資料

  1. 『風土記稿』国府津村真楽寺同村勧堂
  2. 2022年調査
  3. 『新編相模国風土記稿』国立公文書館 内閣文庫 請求番号173-0190 第18冊 コマ77(巻37 国府津村 勧堂)
  4. 寺院総覧編纂局『大日本寺院総覧』明治出版社、1916・大正5、p.563