千代学校(ちよがっこう、1876年 - 1892年)は、1876年1月に千代蓮華寺境内に開設された小学校。1892年に尋常千代小学校に改組された。1885年に星崎定五郎が入学した。

沿革

明治5年(1872)の学制公布の後、千代村ほか21ヵ村の連合村会は、1873年(明治6)6月に矢作村春光院九思館(本校)を開設し、支校2、分教所3を設けた。(1:13)(2)

1876年(明治9)1月に、本校の所在地が学区の南端に偏っており、また支校の散在が不都合であるとして、学区のほぼ中央にあった千代の蓮華寺境内に校舎が新築され、千代学校(ちよがっこう)と改称して開校した。(1:13)(2)

1879年(明治12)校舎を増築(2)

1881年(明治14)1月31日に火災が発生し、1879年に増築した校舎を除いて全焼した(2)。同年10月、現在の校地に2階建の校舎を新築(2)。この間、仮分教場として、中里満福寺鴨宮光照寺高田円蔵院、千代・円宗寺桑原浄蓮寺飯泉勝福寺の大日堂で授業を続けた(2)

1885年(明治18)当時、児童数は約700名で、新1年生は約80名だった。この年、星崎定五郎が入学。星崎は1889年(明治22)に同小学校を首席で卒業した。(1:12,20-21)

1892年(明治25)4月、尋常千代小学校に改組(2)。同年7月、尋常高等千代小学校に改組(2)

関連資料

  • 千代小学校(編)『開校七十五周年記念誌』(1)
  • 千代小学校、100周年記念誌、1973・昭和48 (2)

参考資料

  1. 星崎定五郎(述)石井富之助(編著)『移民の先駆者 星崎定五郎』星崎定五郎翁伝記刊行会、1959
  2. さんわ会25周年記念誌編集委員会『下府中地域 我が町の今と昔』さんわ会、2000、77-78頁

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