南蔵寺入口南蔵寺(なんぞうじ)、酒匂山不動院は、酒匂にある真言宗東寺派寺院。本尊は十一面観音。『風土記稿』のときには国府津宝金剛寺の末寺で、酒匂村の鎮守の駒形社と八幡社ならびに金山社諏訪社雷電社神明社山王社2社および十二天社の別当寺だった。(1)

沿革

寺伝によると、昔は福田寺という寺号で、場所も『風土記稿』当時の位置から4,5町(436-545m)離れた所にあった(1)。「不動免」と呼ばれる水田がその跡地とされ、『風土記稿』の頃も南蔵寺の所有地で、租地(地租の課される土地)だった(1)。寺号が「南蔵寺」と改められた年代は不明(1)

建久の初め(建久元年:1190)に鶴岡海光院供僧12院の1つ)の開山・武蔵阿闍梨義慶が南蔵寺に隠棲した(1)。義慶は源頼朝が帰依している僧だったため、同3年(1192)8月に(頼朝から)御台所の平産の祈祷を命じられた(1)

八月九日、御台所御産気、鶴岡神社仏寺、奉神馬、被修誦経、福田寺酒匂、(…)

『東鑑』からの引用(1)

  • 『風土記稿』は、福田寺は、仏閣15寺の1つとされていたのではないか、と推測している(1)

万治3年(1660)6月に仁和寺の門主が南蔵寺に立ち寄ったことがあり、その頃、境内の北の隅に龍灯出現の古松があったことから、山号を改めて「龍光山」と号するようにとの令旨を下賜され、改号した(1)

のち、天明2年(1782)の火災で令旨を焼失し、また龍灯出現の松も枯れたため、山号を「酒匂山」に戻した(1)

什宝

本尊

本尊の十一面観音像は、木造の立像で、高さは2尺4寸(約73cm)(1)。村内の駒形社・八幡社本地仏とされていた(1)。寺記に、像の中心に「本尊再興、当寺別当法印実紹、伊予阿闍梨隆賢、応永七庚辰年(1400)七月日」と記されている、とあるが、秘仏のため、確認できていない(1)

不動明王像

不動明王像は、高さ6寸4分(約19.4cm)、智証大師の作。もとは村内の別堂に安置されていたが、元禄16年(1703)の地震で堂宇が破損した後、南蔵寺に安置された(1)。この不動堂と村内の虚空蔵堂は、南蔵寺が管理していたが、地震で破損した後、『風土記稿』の頃まで再建されずに除地のみが残っていた(2)

境内

地蔵堂

『風土記稿』のとき、境内に地蔵堂があった(1)

上輩寺

南蔵寺本堂2022年現在、南蔵寺は上輩寺と境内を接しており、塀がないため、上輩寺の境内から南蔵寺の様子が見える(右写真参照。手前の墓は上輩寺の境内)。

寺紋

寺紋は菊花紋(2019年調査)

リンク

参考資料

  1. 『風土記稿』
  2. 『風土記稿』36 足柄下郡 15 成田庄 酒匂村 不動堂

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