国府津建武古碑(こうづけんむこひ)は、国府津・宝金剛寺の墓地の一画にある、建武5年(1338)に造立されたとみられる板碑(2)。正面中央に阿弥陀三尊を表わす梵字が刻してある、浄土教の信仰を示す板碑で、根府川石を用いた、形や彫り方・意匠にも特徴のある相模型板碑とされている。
所在地
1954年の『国府津町誌』には、字・岡の国府津・宝金剛寺の裏山、海抜約50mの蜜柑畑にある、とされている(3)。同書によると、国宝史蹟研究会の八幡義生会長は、受名が無いことから、場所を移したと考えられ、国府津・蓮台寺の境内から移したのではないか、との説を主張していた(3)。
2022年現在は、宝金剛寺の墓地の一画にある(4)。
寸法
『国府津町誌』によると、高さ4尺4寸3分(約134.2cm)、幅2尺3寸5分(約71.2cm)、厚さ4寸5分(約13.6cm)(3)。
市のウェブサイトによると、高さは地上150cm余(2)。
碑銘
自然石を平滑な面に加工して、中央に、阿弥陀(キリーク)・観音(サ)・勢至(サク)の阿弥陀三尊を表わす梵字が隠刻してあり、浄土教の信仰を示す板碑となっている(2)(3)。
『国府津町誌』によると、その左脇には「建武五年戊刁(寅、1338)三月二十四日 沙弥法明敬白」と刻してあり、右脇には「石志趣為過去諸聖霊往生極楽乃至法界平和利益也(過去の聖霊が極楽に往生し、法界では平等の利益を受けることを願う主旨の碑)」と、建碑の理由が説明されている(3)。
市のウェブサイトによると、梵字の左右には、造立年(建武5)と願主の名(「沙弥法明」、詳細不明)などが刻まれている(2)。
『国府津町誌』は、建碑の3月24日は、3月の彼岸にあたり、国府津の勧堂の念仏講の日に当たることから、浄土信仰を表わすものであることは確かだとしている(3)。
また同書は、建武5年の年号は、実際には改元されていて、南朝では延元3年、北朝では暦応元年にあたるとし、建武古碑を「県下に南朝年号を用いた遺跡」の1つとしているが(3)、建武5年は北朝の年号で、同年、暦応元年に改元されている。
用材
市のウェブサイトは、鎌倉時代以降、武蔵国を中心に普及した典型的な板碑が秩父の青石を使った板状の石塔婆であるのに対し、手近な根府川石を利用しており、形や彫り方・意匠にも特徴がある相模型板碑と評している(2)。
文化財指定
1961年(昭和36)に市の有形文化財に指定された(2)。
参考資料
- 國府津山 寶金剛寺 本尊・寺宝 仏具・仏塔
- 小田原市文化部文化財課「建造物・国府津建武古碑」小田原市公式サイト、作成時期不明、最終更新日 2011年7月6日
- 国府津町誌編纂委員会「宝金剛寺の板碑」『国府津町誌』国府津町、1954、209-210頁
- 2022年調査