大久保神社(おおくぼじんじゃ)は、城山3丁目にある神社(1)。1893年(明治26)に、大久保家の協力により官有地となっていた小田原城址の払い下げが実現したことを顕彰し、旧本丸天守台に創建された。1899年 - 1900年頃、城内に御用邸を新設する計画が浮上したとき、換地により小峰(城山)に移転した。2021年1月1日現在、神社本庁傘下の被包括宗教法人(1)。
沿革
縁起
明治の中頃、旧小田原城址は、陸軍省などが所管する官有地となっており、八幡山や小峰の山林を含む広大な面積を占めていた(3)。1876年(明治9)に(4)足柄県が廃止され、神奈川県小田原支庁が設置された際に、神奈川県が三の丸の貫属地約3,705坪(約12,248m2)を買収して、官有第2種(官有地)に編入したが、この頃から、土地の有効利用を企図した小田原の有識者や商人によって、官有地払い下げ運動が行われるようになった(3)。
払い下げに関して、旧藩の縁故者には特待の内規があったため、旧藩主の大久保家と連絡して運動が進められ、1888年(明治21)8月に大久保忠礼を招いて御幸の浜で「小田原旧士民懇親会」が開催された(『横浜毎日新聞』1888年8月7日)。1890年(明治23)2月に小田原町は陸軍省との交渉のため、「城趾払下臨時委員」5名を選出した。(3)
交渉の結果、1891年(明治24)12月までに、大久保家に対して、18町3反2畝(約181,686m2)が1万円で払い下げられた。小田原町はこのうち66.7%相当の12町2反2畝を大久保家から5千円で買い上げ、残分(差引6町1反)を大久保家から無償で借り受けた。また大久保家と町の間で、城郭の旧観保存につとめることや、譲与・転売の制限など4ヶ条が約され、町会で承認された(『明治小田原町誌』)。(3)
1893年(明治26)10月に、大久保家を顕彰する意味も含めて、旧本丸天守台に大久保神社が創建された(3)。
移転
1899年2月頃、旧小田原城内に御用邸を新設する計画が持ち上がった際に、大久保家は旧城内に所有し、小田原町に貸し付けていた土地6町9畝17歩(60,453m2)を平塚の御料林の土地と交換した(片岡永左衛門『足柄史料』)。大久保神社も敷地を御料地と交換することになり、小峰(城山3丁目)に移転した(3)。
年中行事
月日 | 祭礼名 |
10月第3日曜日 | 例大祭 |
資料:神奈川県神社庁(2)
参考資料
- 神奈川県ホーム > 教育・文化・スポーツ > 文化・芸術 > 宗教法人 > 宗教法人について > 神奈川県知事所轄の宗教法人 > 宗教法人名簿(令和3年1月1日現在) > その他1 宗教法人名簿(PDF:708KB)
- 神奈川県神社庁ウェブサイト>神社詳細>大久保神社、更新時期不明、2023年2月10日閲覧
- 宮坂博邦「小田原城の解体と城跡地所管の変遷」『小田原市史 通史編 近現代』小田原市、2001、87-94頁、I 近代 第3章 第1節
- 綾部一雄「西北地区自治会の沿革 その1」富水西北史談会 編『富水西北の歴史 第2巻』富水西北公民館、1985・昭和60、57頁 - 内田哲夫 編『年表小田原の歴史』による。