大沢 正重(おおさわ まさしげ、天正13年(1585) - 寛永2年(1625)7月17日)、大沢 次郎左衛門(おおさわ じろうざえもん)。
経歴
- 『寛永諸家系図伝』によると、大沢次郎左衛門正秀の子・次郎左衛門正重は、徳川家康・秀忠に仕え、大阪の陣にも参加した。その後、家光に任命されて大御番組頭となった。寛永2年(1625)に41歳で死去。
- また家系図によると、大沢正秀の三男・又三郎某は、父の由緒をもって慶長年中(1596-1615)に召し出され、656石余を拝領して大御番を務めた。大阪冬の陣・夏の陣で戦功を顕わし、戦後、大御番組頭となった。寛永2年7月17日没。
- 墓は、風祭・万松院にある。寺伝によると、法名:傑叟長英。寛永2年7月17日没。
参考資料