大畠観音堂大畠観音堂(おおはたけかんのんどう)は、久野にある観音堂

縁起

『風土記稿』の久野村の項には、寺号のない観音堂の記載が2つあり、うち1つには「正観音を置、〔弘法大師作、〕略縁起に拠に、天正の兵火(天正18・1590)に罹り、久しく土中にありしが、一時村民の夢に入、地を鋤て彼霊像を得たり、〔今堂北の白田間に小塚あり、出現の所と云、〕即堂宇を再営し安置すとなり、村持、下同、」とあり、もう1つには記事がない(1)

2019年現在、久野には大畠観音堂と欠之上観音堂があるが、『風土記稿』の観音堂との対応関係は不明。

『皇国地誌久野村誌』(草稿本)には記載がない(2)

扁額

本堂に「大悲閣」と書かれた扁額が掛かっている。(2019年調査)

寺紋

寺紋は確認できず。(2019年調査)

リンク

境内の石仏群

参考資料

  1. 『風土記稿』
  2. 田代道彌「皇国地誌久野村誌(草稿本)の発見」『おだわら 歴史と文化』第13号、小田原市役所企画部市史編さん課、2000年3月、41-42頁