大稲荷神社(だいなりじんじゃ)は、城山1丁目にある神社(1)。
2021年1月1日現在、神社本庁傘下の被包括宗教法人(1)。
沿革
創建
『全国寺院名鑑』にある、谷津村(城山)の大稲荷社の別当寺だった(5)福泉寺の伝によると、同寺9世・雷山沢随は、小田原城主に大稲荷神社の建立を説き、正徳元年(1711)に社領70石を下賜された(4)。
『風土記稿』には、かつて谷津村の東の田地の中にあって「田中稲荷」と呼ばれていたが、宝永3年(1706)5月に社地を福泉寺の裏山の上に移し、社号を「大稲荷社」に改めた、とある(5)。
- 同書によると、『大久保家記別集』に、宝永2年(1705)2月に、大久保忠増の家臣・清水清左衛門の妹に「当年のうちに城主に吉事がある」と神託があって、その年の12月に実際に忠増が老職(老中)に補せられたことから、稲荷への信仰を深め、「大」の字を冠した神号を称するようになった、とあるという(5)。(福泉寺の伝の年次を真とすると、この伝は真しからず)
- また『風土記稿』によると、大久保氏の祈願所だった天台宗・安祥院(不詳)の寺記に、忠増は江戸の邸宅中にも稲荷社(或いは大稲荷社)を勧請して鬼門の守り神にしていた、とあるという(5)。
『風土記稿』のときは、谷津村と、小田原の城下町のうち竹花町・須藤町・大工町(栄町・本町の一部)の鎮守で、神体および本地仏・馬頭観音を安置していた(5)。
明治期
明治初年(1868)の神仏分離令のとき、大稲荷神社の神体は福泉寺の寺内に移置された(4)。
境内
『風土記稿』の頃、境内には幣殿・拝殿があり、社内には稲荷15座(木本・兵虎・山本・熊谷・官位・烏森・丸女・杉木・五祖子・白山・宝珠・姫宮・若姫・山中・三社)と第六天が勧請されていた(5)。いずれも板札に神号が記されていた(5)。
土砂災害特別警戒区域
大稲荷神社の境内の一部を含む城山1丁目3-2の区域(206-H26-146 城山1丁目3-2)は、神奈川県の土砂災害特別警戒区域(急傾斜)に指定されている(2021年3月19日 告示第150号)(3)。
年中行事
月日 | 祭礼名 |
1/1 | 歳旦祭 |
2/3 | 節分追儺祭 |
2/17 | 祈年祭 |
2月上午の日(注1) | 初午祭 |
5/4,5(注2) | 例祭 |
6/30 | 夏越の大祓 |
11/23 | 新嘗祭 |
11月下旬 | 大麻頒布始祭 |
12/31 | 大祓 |
毎月1日 | 月次祭 |
資料:神奈川県神社庁(2)
注1:『風土記稿』の頃、毎年の初午と旧暦6月16日の2度、「湯立の式」が行われていた(5)。
注2:『風土記稿』の頃、祭礼は旧暦6月15日に行われており、隔年で神輿巡行が行われていた。これは宝永6年(1709)に始められたことという(5)。
リンク
- 大稲荷神社ウェブサイト
- YouTube「大稲荷神社」の検索結果
参考資料
- 神奈川県ホーム > 教育・文化・スポーツ > 文化・芸術 > 宗教法人 > 宗教法人について > 神奈川県知事所轄の宗教法人 > 宗教法人名簿(令和3年1月1日現在) > その他1 宗教法人名簿(PDF:708KB)
- 神奈川県神社庁ウェブサイト>神社詳細>大稲荷神社、更新時期不明、2023年2月10日閲覧
- 神奈川県土砂災害情報ポータル 区域図
- 全日本仏教会寺院名鑑刊行会『〈改定版〉全国寺院名鑑 北海道/東北・関東編』同左、1970年3月(初版1969年3月)、p.420
- 『風土記稿』早川庄 谷津村 大稲荷社