天桂院の墓天桂院の墓(てんけいいんのはか)は、中町福厳寺境内の墓地にある、徳川家康の妹・天桂院(高瀬君)の墓。天桂院は、天正18年(1590)10月17日、数え年22歳のときに、今井の陣屋(寿町4丁目、今井権現社のあたり)で死去した。曹洞宗の寺院に葬って欲しいとの遺言により、福厳寺に埋葬されたという。法名「天桂院殿月窓貞心大禅定尼」。墓には宝塔が1基あり、五輪塔で高さ約1尺5寸(45cm)。(1)

天桂院は、天正9年(1581)に松平玄蕃頭家清の室となっていたため、その没後、福厳寺は毎年、松平家清の家(19世紀前半の子孫の家は旗本の松平主水清良)から仏供料を贈られ、また自身が東海道を通行するときに参拝を受けていた。毎年の忌日には小田原城主からの代拝もあった。(1)

葬地に関する疑義

『風土記稿』は、松平主水家の系譜には「号天桂院殿月窓貞心大姉、葬所武州八幡山、一寺起立仕、号月窓山天桂院、後年三州吉田へ改葬、又同国西郡へ改葬、右寺も同所に移す、其後慶安二年(1649)、天桂院全栄寺を一箇寺に仕、龍台山天桂院と改」とあるため、武蔵国児玉郡(埼玉県本庄市児玉町)八幡山に「天桂院」という寺院を建立して葬地とし、のちに三河国に改葬されたと考えられ、福厳寺が葬地とされていることには疑義がある、としている(1)

しかし、福厳寺は19世紀前半に至るまで、松平主水の家や小田原藩主から香奠を受けているので、別に理由があるのだろう、として、国替えの際の旅行中に具合が悪くなるなどして、まだ今井の陣屋が破却されていなかったため、同書にしばらく滞在して養生するなどしたのではないか、と推測している(1)

参考資料

  1. 『風土記稿』中島村 福厳寺