太田 十郎兵衛(おおた じゅうろうひょうえ?)は、『所領役帳』に松山衆の1人として名前がみえる後北条氏の被官。乙卯年(弘治元・1555)に検地が行われた入西 堀籠(埼玉県坂戸市堀込)に27貫779文(大普請のときは半役)、蔵出分として20貫文(うち6貫文は引銭)を下されていた(1)。『所領役帳』頭注は、同じ松山衆の1人として、その直前に名前がみえる太田豊後守の一族と推測している(1)。