太田 又三郎(おおた またさぶろう)
年不詳(推定天文4・1535年)9月5日付で、太田又三郎は、今川氏輝から、北条氏綱の遠征につき、手合い(敵軍との遭遇戦)となって、7月22日に(山梨県)都留郡の山中で合戦し、自ら敵を討捕って奮戦したことについて、感状を受けている(1)。
『風土記稿』によると、太田又三郎は、(小田原市)千代の円宗寺の開基で、法名は「円宗寺殿華公浄悦大禅定門」。天文4年(1535)12月17日に千代村で死去したとされている(2)。
同書は、又三郎は、永禄の頃(1558-1570)の地頭・太田豊後守の父などではないか、と推測している(1)。
参考資料
- 『岩槻市史 古代・中世史料編 I(2)古文書史料(下)』岩槻市市史編さん室、1983、656頁、No.1005
- 『風土記稿』成田庄 千代村 円宗寺
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