妙福寺跡地 山門妙福寺(みょうふくじ)、象鼻山は、かつて板橋富士山(ふじやま)の中腹にあった日蓮宗寺院(1)(2)。本尊は釈迦如来(1)。開山は越後阿闍梨・朗慶(正中元年・1324没)で、創建は永仁元年(1293)もしくは弘安五年(1282)という(1)。中興開山は日清(寛文13年・1673没)(1)。江戸時代には下総中山・法華経寺の末寺だった(1)

大正2年(1913)に廃寺となって蓮生寺と合寺され(4)、蓮生寺の旧地に寺地を移し、(御塔)生福寺として存続している(2)

縁起

日蓮の旧跡

延享元年(1744)に記された縁起によると、文永11年(1274)に日蓮鎌倉から身延山に赴く途中、5月13日に当所を通りかかり、山崖巨石「象ヶ鼻」と呼ばれる岩に登って房総の山々を遠望し、故郷が忘れがたいと遙かに二親回向の経文を読誦し、また衆生利益のために「病即消滅」の本尊を書いて、傍らにあった松の木に掛けて祈念した(1)

  • 『風土記稿』の頃にも高さ6尺(約1.8m)の「象ヶ鼻」と呼ばれる巨石があり、その形は象の鼻に似ていた(1)
  • 日蓮が書いたとされる本尊の一軸は寺宝とされており、宝暦年間(1751-1764)の本山の裏書きがあった。その写し:高祖大士病即消滅御守、相州御塔妙福寺什物、永代不可紛失者也、宝暦六丙子大才(1756)卯月(4月)良日、正中山日徳[華押](1)

「御塔」の字名

また(日蓮は)当所に石の宝塔を建てて、主題「多宝四菩薩」を自らの手で刻した(1)

  • この塔は『風土記稿』のときには散逸しており、高さ4寸(約12cm)、周囲1尺6寸(約48.5cm)余の石が残っているだけだった。正面に「妙法蓮華□/南無□□/多宝如来釈迦世尊日蓮」などの文字を読みとることができたが、その他は漫漶していた(はっきりと判読できない状態になっていた)。この石を、高さ3尺2寸(約97cm)の銅造の塔の中に安置していた(1)

それ以後、地元の住民はこの地を「御塔(おとう)」と字した(1)

開山

その後、永仁元年(1293)もしくは弘安五年(1282)に、越後阿闍梨・朗慶(正中元年・1324没)が来て宝塔・本尊などを拝し、師の旧跡であったことから、一宇を創建して、今の山寺号を命名したという(1)

日蓮像

のちに日法が、71歳のときにこの山の木を使って高さ2尺(約60cm)余の日蓮の像を彫刻し、それが本尊として安置されていた(1)

鬼子母神像

また高さ1尺8寸(約54.5cm)の鬼子母神像が安置されていた。縁起によると、昔、漁夫が早川尻の海上に網を掛けて得たもので、ある夜その持ち主の夢に現われ、当山の鎮守とするようにお告げがあったので、ここに安置した、とされていた(1)

境内

日清の墓

日清は俗称を山内甚五兵衛一直といい、備前岡山の人だった。撃剣をよくし、「平常無敵流」という一派を立てた。老後は剃髪して、門人の招請を受けて、当寺の28世の住持となった。堂宇の再建に功績があったことから、中興開基とされている(諡号:心量院蓮真清大徳)。(1)

安永元年(1772)8月、その百回忌に当たり、その門流の池田成牝(江戸の人、『風土記稿』の頃までその子孫が門流を伝承していた)が墓碑を建立した(1)

碑陰(碑の裏面)の銘の写し:

妙福寺二十八世、心量院蓮真日清大徳、初称山内甚五兵衛源一直、備前岡山人也、入京受儒学於熊沢了戒、参禅於妙心寺白巌和尚、後徒江戸、自少好剣術、研究八流、終開悟剣道之奥妙、号「平常無敵」、執政板倉内膳正源公、以為師範、老後落髪号蓮真、小田原稲葉候大夫田辺氏、受業篤信、請待為寺主、当山者開山日蓮大士霊場也、遂来居、為更立堂塔、中興寺院、寛文十三年癸丑(1673)化、行年六十二歳、即葬于寺、

先師伝奥妙於関野清大夫信歳、信歳伝之池田八左衛門源成祥、又発明「谷神伝」及「無刀妙術」、弟子三千余人、後号虚翁、妙年八十二、

虚翁伝之男弥左衛門(池田)成春、弟子五千余人、執政浜田公源公以為師範、尽奉授奥妙、老号霊翁、卒年七十、

霊翁伝之男(池田)成牝、今年為先師百廻忌、墓碑生苔蘚文字不弁、成牝不肖、叨伝剣道、窃慕其高徳、謹築石垣、立石灯籠二基、嗚呼先師発明剣道、以来、百有余年、同跡最繁、不違祖訓、由先師高徳也、不堪感懼、因勒石以示後人、仰願永昌世不墜其業、明和九年壬辰(1772)八月望、付属五代池田八左衛門源成牝立、

常唱堂

「常唱堂」と号する祖師堂があった。元禄年間(1688-1704)の建立(1)

跡地

東風祭の踏切脇に立つ「日蓮聖人霊跡」の案内板2022年現在、国道1号線から風祭旧東海道へ入る東風祭の踏切の脇に、昭和47年(1972)に日蓮聖人讃仰の有志一同によって立てられた「日蓮聖人霊跡」の案内板があり、その脇から富士山の参道を板橋方面に向って少し上がることができる。階段を少し上がった先の崖上に小祠があるが、一般人が参拝できるようにはなっていない。(3)

参考資料

  1. 風土記稿
  2. 日蓮宗ポータルサイト 象鼻山 御塔生福寺
  3. 2022年調査
  4. 日蓮聖人讃仰の有志一同「日蓮聖人霊跡」現地案内板、1972