学制発布(がくせいはっぷ)は、明治5年(1872)8月3日に、太政官布告第214号(被仰出書/学制布告書)によって近代的な学校制度が発布(公布)された出来事(2)(3)(4)。布告に基づき、1873年(明治6)から1874年(明治7)にかけて、日本全国に近代的な学校が設けられた(1)(2)(3)

その趣旨を記した「被仰出書(おおせいだされしょ)」では、学校新設の趣旨と、学校で学問を学ぶ意義が説かれ、「邑(むら)に不学の戸なく、家に不学の人なからんことを期す」と、全国民を対象とする制度であることが強調されていた(2)(3)(4)

諸外国の教育制度を参考にして作成され、学区制などの制度の大綱はフランスを模範とし、教育内容にはアメリカ合衆国の影響が見られた(4)

学校設立経費の負担や、西洋教育を模した教育内容など、全国画一的な制度実施への批判を受け、1879年(明治12)に教育令が公布され、学制は廃止された(4)

設置状況

1873年(明治6)当時、全国で小学校13,558校が設置された(2)

1873年から1874年にかけて、足柄上郡足柄下郡で開校した小学校は48あり、一部を除き、ほとんどが寺院の施設を借用して開校した(3)

現在の小田原市域にあたる地域の小学校の設置数は、松蔭1984によると、小学校7・支校8の計15校(2)、高田1994によると、小学校17校(1874・明治7年当時)(3)

小田原駅では、1873年(明治6)4月に幸町(本町)の小学日新館と新玉町(栄町)の小学啓蒙館が開校し、同年8月に万年町(浜町)の小学壱町田学校が開校した(1)(3)。日新館は三の丸の藩校・文武館跡に、啓蒙館は本源寺に、壱町田学校は宝安寺に開設された(3)

表 足柄県の公立小学校(足柄下郡、足柄上郡、淘綾郡まで)

名称 小学区 位置 教員 生徒 扶助金配当高(円)
日新館 8 幸町 文武館(3) 9 8 178 320 172.794
啓蒙学校 12 新玉町 本源寺(3) 10 5 249 124 166.178
壱町田学校 16 万年町 宝安寺 (3) 6 - 90 - 35.026
成美館 23 池上村 7 - 131 43 15.638
久野学校 25 久野村 3 - 45 29 6.650
飯田岡学校 28 飯田岡村 福田寺(2) 3 - 96 38 12.043
九思館 31 矢作村 春光院(5) 5 - 114 31 13.032
 第1分教所(6) - 成田村 成願寺 (6) NA - NA NA -
 第2分教所(6) - 田島村 地蔵堂 (6) NA - NA NA -
 第3分教所(6) - 鴨宮村 東照寺 (6) NA - NA NA -
曽我原学校(6) 35 曽我原村 東光院(6) 3 - 114 31 13.032
永塚学校 36 永塚村 雷電社(6) 3 - 54 21 6.740
山王学校 39 山王原村 5 - 76 32 9.706
酒匂学校 42 酒匂村 5 - 55 31 7.729
崇広館 46 前川村 常念寺 (6) 6 - 74 39 10.155
小船学校 48 小船村 6 - 65 28 8.287
有禎館 51 板橋村 5 - 64 52 8.301
湯本学校 53 湯本村 2 - 35 32 6.021
畑宿学校 54 畑宿 2 - 30 18 4.314
宮城野学校 56 宮城野村 2 - 14 13 2.426
箱根学校 55 箱根宿 3 - 28 24 4.673
仙石学校 56 仙石原村 1 - 15 7 1.982
底倉学校 56 底倉村 2 - 24 9 2.965
早川学校 57 早川村 3 - 64 35 8.897
根府川学校 58 根府川村 2 - 52 39 8.178
立誠舎 61 真鶴村 5 - 72 55 11.414
成教舎 63 吉浜村 5 - 69 61 11.683
城堀学校 65 城堀村 2 - 48 34 7.369
宮上学校 67 宮上村 2 - 56 51 9.616
塚原学校 69 塚原村 6 - 93 19 11.188
栢山学校 75 栢山村 5 - 27 6 5.294
沼田学校 68 沼田村 2 - 26 9 3.496
壗下学校 72 壗下村 5 - 71 15 8.576
化源館 77 関本村 5 - 79 25 10.389
芥野学校 78 芥野一色村 2 - 55 16 7.091
内山学校 81 内山村 2 - 41 14 5.494
千津島学校 82 千津島村 3 - 31 9 3.995
益習館 83 金井島村 4 - 95 33 12.787
牛島学校 85 牛島村 3 - 60 17 7.692
賛育館 87 金子村 6 - 103 18 12.087
山田学校 91 山田村 3 - 83 12 9.490
上曽我学校 93 上曽我村 3 - 41 14 5.494
下大井学校 94 下大井村 3 - 65 21 8.591
松田学校 96 松田惣領 6 - 112 24 13.586
貫穿舎 99 川村岸 6 - 138 54 19.180
川西学校 103 川西村 6 - 69 9 7.782
誠意館 107 柳川村 3 - 53 15 6.793
弥勒寺校 108 弥勒寺村 3 - 32 9 4.095
井ノ口校 110 井ノ口村 6 - 106 21 12.687
境学校 112 境村 2 - 30 14 4.395
誠成館 113 比奈窪村 2 - 37 17 5.394
山西学校 116 山西村 3 - 41 10 6.159
二宮学校 120 二ノ宮村 3 - 82 20 12.320
思文館 126 生沢村 4 - 123 30 18.480
万田学校 128 万田村 3 - 44 12 6.764
秉彝館 136 大磯 5 - 121 82 24.519
平沢学校 140 平沢村 3 - 112 29 17.009
渋沢学校 142 渋沢村 3 - 109 27 16.426
輯雍館 145 堀山下村 3 - 125 30 18.721
菩提学校 147 菩提村 3 - 93 18 13.400
修身館 155 曾屋村 6 - 140 41 21.862
誂学校 156 曾屋村 2 - 22 16 4.589
田原学校 149 東田原村 5 - 129 29 19.084
(後略)

資料:(1:92-102頁)

就学率

1873年(明治6)当時、全国の就学率は28.1%だった(2)

1874年(明治7)当時、足柄県の就学率は男子55%、女子23%弱だった(3)。小田原駅の就学率は男子54%、女子46%で、女子の就学率が高いという特徴があった(3)

教育内容

発足当初は読み・書き・ソロバン(算盤)の寺子屋的な学習が行われており、平民出身の師範学校卒業生が教師になるのは、明治30年代(1897年 - 1906年)になってからだった(3)

関連資料

  • 荒井正修「小田原小学の開始」1913・大正2(3)

参考資料

  1. 足柄県公立小学校表」文部省 編『文部省年報 第2年報(明治7年)』宣文堂、1964 復刻発行、92-102頁
  2. 松蔭1984:松蔭良子「教育の今昔」富水西北史談会 編『ききがたり 富水西北の歴史 第1巻』富水西北公民館、1984・昭和59、65-72頁
  3. 高田1994:高田稔「学制発布と小学校の誕生」播摩晃一ほか編『図説 小田原・足柄の歴史 下巻』郷土出版社、1994、10-11頁
  4. 国立教育政策研究所 教育図書館 Library > コラム~教育図書館所蔵資料から(3)>学制・太政官布告第214号(被仰出書)、2016年11月作成
  5. 星崎定五郎(述)石井富之助(編著)『移民の先駆者 星崎定五郎』星崎定五郎翁伝記刊行会、1959、13頁
  6. さんわ会25周年記念誌編集委員会『下府中地域 我が町の今と昔』さんわ会、2000、77-80頁

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