安楽寺安楽寺(あんらくじ)、荒神山国土院は、中町1丁目にある浄土宗寺院。本尊は阿弥陀如来。文安3年(1446)の創建で、開山は宗公(讃蓮社正誉と号した。宝徳3年・1451没)。江戸時代には芝・増上寺の末寺だった。(1)

本尊

本尊の阿弥陀如来像は、像高2尺(60.6cm)余で、運慶の作とされていた(1)

境内

荒神社

荒神社のご神体の像の写図(『新編相模国風土記稿』足柄下郡荻窪村安楽寺の項、『大日本地誌大系 第37巻』雄山閣、1932、p.195)ご神体は鉄の鏡面に鋳出した像(図)。

もとは、武蔵国羽生領の鎮守・埼玉郡小松村、熊野・白山合祠の末社に勧請されたもので、願主の「忠朝」は同郡羽生城主・木戸伊豆守忠朝、「直繁」は広田式部大輔直繁でこの人も近隣の領主とみられ、

  • 小松村の熊野本地仏・阿弥陀如来像の銘に、「願主広田式部大輔直繁」と刻してあり、また羽生領の村々に、永禄年間(1558-1570)に同人が発出した文書があった。

2人が相談して同社に寄納したものとみられていた(1)

またこれを安楽寺の荒神社に安置したのは、大久保相模守忠隣で、文禄3年(1594)に父・七郎右衛門忠世の領知を相続し、武州の旧領から相模国小田原城主となったときに、ここに移し置いたものとされていた(1)

  • 『風土記稿』のとき安楽寺にあった縁起には、この像は新田義重が上州金山で得たものを、大江広元入道学阿に譲り、わけあって武州神奈川あたりの長井村に長く伝えられて来たものを、太田持資入道道灌が寛正5年(1464)に上洛した帰途、神奈川に宿泊し、同地の村長から譲り受け、江戸城に安置して、武州太田庄を灯明料に付した。天正年中(1573-1592)に遠山政景が江戸に在城した頃、安楽寺に移した。7世長順のときだった、と記されていた。『風土記稿』は、デタラメも甚だしい、としている。

松明院

『風土記稿』のとき、かつて松明院という子院があったが、中古に廃され、再建されていない、とされていた(1)

小田原みどり学園

境内は認定こども園・小田原みどり学園の園庭になっている。(2022年調査)

寺紋

寺紋は月影杏葉抱花杏葉(2019年調査)

リンク

参考資料

  1. 風土記稿