安楽院 本堂安楽院(あんらくいん)、梅花山専養寺は、国府津にある真言宗東寺派寺院。本尊は不動明王。元応2年(1320)、僧・高伝(同年没)の創建。(1)

江戸時代には国府津・宝金剛寺の末寺で、国府津の天神社(菅原神社)、八幡社(八幡神社)、浅間社、山王社、神明社および稲荷社の管理をしていた。(1)

沿革

創建

安楽院 入り口『全国寺院名鑑』は、天長10年(833)の創建で開山は杲隣大徳(宝金剛寺の伝によると、承和11年・844没(5))としている(4)この伝は疑わしい。同書には、元応2年(1320)に僧・高伝が堂宇を再建し、中興したとされている(4)

戦国時代

天正15年(1587)9月に北条氏が出した制札を所蔵しており、その文中に安楽院が新しい土地にあることがみえるため、この頃寺地を移したとみられている(1)

禁制、右於社中并別当屋敷、横合非分狼藉之儀、不可有之、山林竹木等剪取儀、堅令停止畢、就中寺中者為新地間、改而諸役等不可有之候、若於違犯之輩者、可遂披露、糺明之上可処厳科旨、被仰出者也、仍如件、天正十五年丁亥(1587)九月八日、田島郷天神別当安楽院、江雪奉之、虎朱印
  • 『風土記稿』のとき、原本は失われており、写しが所蔵されていた。「社中」とは国府津の天神社(菅原神社)のことで、安楽院はその別当寺とされている(1)

江戸時代

万治3年(1660)に京都・東寺から山号を免許され、そのときの令旨があったが、『風土記稿』のときには失われていた(1)

『風土記稿』のとき、国府津の天神社とその末社(稲荷社、諏訪社)の別当のほか、国府津の八幡社、浅間社、山王社、神明社、稲荷社の管理もしていた(1)

明治時代

1869年(明治2)、明治維新の神仏分離令により別当寺は廃止され、菅原神社には神官が配置された(6)

1889年(明治22)7月16日、火災で焼失。1892年(明治25)に再建されたが、旧記・什宝が焼失した。(6)

1908年(明治41)9月、国府津小学校の校舎の移転・改築に際し、児童の一部を受け入れた(翌年4月末まで)(7)

寺宝

般若心経1巻(4)

境内

1970年当時、境内は700坪(約48m四方)、建物は本堂70坪(約15m四方)、庫裡(いずれも1964・昭和39年に再建)(4)

年中行事

だるま市

2017年、2019-2021年の12月25日に境内でだるま市が開催されている(2)(3)

寺紋

寺紋は梅鉢真言宗独鈷真言宗輪宝(2019年調査)

リンク

参考資料

  1. 『風土記稿』
  2. 関東一早い飯泉観音「だるま市」ほか小田原市内4寺院で年末の風物詩レアリア、2017年12月20日
  3. ありがとう連絡会
    1. 今年の締めくくりと新年の祈願に「だるま市」に出かけませんか? 2018年12月12日
    2. 小田原・足柄地域の「だるま市」に出かけよう! 2019年12月9日
    3. 小田原・足柄地域 2020年の「だるま市」は? 2020年12月10日
    4. いよいよ年末!小田原・あしがらエリアの「だるま市」 2021年12月6日
  4. 全日本仏教会寺院名鑑刊行会『〈改定版〉全国寺院名鑑 北海道/東北・関東編』同左、1970年3月(初版1969年3月)、p.419
  5. 『風土記稿』国府津村 宝金剛寺
  6. 国府津町誌編纂委員会「菅原神社」「安楽院」『国府津町誌』国府津町、1954、195-197, 201-202頁
  7. 『国府津町誌』72頁