富士道(ふじみち)は、明治から大正にかけて(1868-1926)、国府津の親木橋から、鴨宮・矢作の浅間神社の前を通り、成田・桑原の富士見橋(富士道橋?)を渡って、中曽根から堀之内、富水西北公民館前を通って、岩原へ出た道(2)(3)。1984年当時の旧道・市道44号線(しどうよんじゅうよんごうせん)(2)。
熱海線(2023年現在の東海道線)が国府津から小田原まで延伸される(1920年10月(5:20))以前は、国府津で下車した道了尊参りの講中が歩いて関本まで向かう経路にあたり(1)(2)、巡礼街道(じゅんれいかいどう)、巡礼道(じゅんれいみち)とも呼ばれていた(2)。岩原で甲州路に合流していた(3)(4)。
『新編相模国風土記稿』にも往還の1つとして記載がみえる(3)(4)。
表:『新編相模国風土記稿』にみえる「富士道」に関する記載
国府津村 | 府中道(ふなかみち、幅6尺・約1.8m) 府中道は関本道了権現に詣ずる捷経(近道)なり/路頭に道了権現の石標を立、中里村に至りては、富士道と称す、 |
中里村 | 富士道北寄村落に傍ふ、(・・・)各幅2間(約3.6m)、 |
矢作村 | 富士道は村の中間を通ず、この道西に分れて小田原道となり、東に分れて大山道となる、(・・・)以上3路各幅2間(約3.6m)、 |
成田村 | 富士道は東より北に達す、道幅各9尺(約2.7m)、 |
桑原村 | 富士道南方より西に係る、道幅各9尺(約2.7m)、 |
中曽根村 | 北方に富士道係る、幅6尺(約1.8m)、 |
○酒匂川 (・・・)歩行渡場あり、富士道の係る所なり、11月より翌年4月迄の間、土橋を架す、対岸/桑原村持なり、東海道酒匂川出水し、往来を留る時は、此渡場も亦往来を禁ず、(・・・) | |
堀ノ内村 | 富士道南方を通ず、幅6尺(約1.8m)、 |
柳新田村 | 富士往来村南に係れり、幅9尺(約2.7m)。 |
小台村 | 村内に富士道係れり、幅9尺(約2.7m)。 |
岩原村 | 富士道北境にあり、足柄下郡小台村より入、字坂下にて甲州路に合す、 |
資料:(3), (4)
参考資料
- 井上春江「ふるさとの径(こみち)」富水西北史談会 編『ききがたり 富水西北の歴史 第1巻』富水西北公民館、1984・昭和59、1-3頁
- 額田常子「大正初期の生活」同書3-5頁
- 松蔭宣徳「富士道のこと」富水西北史談会 編『富水西北の歴史 第2巻』富水西北公民館、1985・昭和60、159-161頁
- 『風土記稿』各村の記述による。
- 松浦正郎「小田原が生んだ 辻村伊助と辻村農園」箱根博物会、1994
- 農研機構農業環境研究部門『歴史的農業環境閲覧システム』>比較地図
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