小八幡漁業組合(こやわたぎょぎょうくみあい)は、1902年(明治35)に、小八幡の地曳網の網元らを発起人として、漁民や住民から成る組合員70人余で結成した漁業組合(1)。
漁業法に基づいて国に対し沖合での漁業権取得の出願を行ったが、1903年(明治36)4月に国は小八幡の地先の漁業権の免許を七福漁業組合に与えた(1)。小八幡漁業組合は免許取消訴訟を起したが、その後、訴訟を取下げた(1)。
1920年(大正7)11月、手繰網、七目網および鰤立網の、3権の漁業権の免許を出願したが、国に却下された(1)。組合は、漁業免許拒否処分取消請求の訴えを起したが、1920年(大正9)12月、原告の請求を認めない、との判決が下され、敗訴した(1)。
内田1994は、組合には、当初組合に参加していた地曳網の網元らがまもなく組合を離脱した、酒匂村の漁業関係者が組合に加わっていなかった、などの弱点があった、と評している(1)。
1921年(大正10)2月に小八幡漁場の漁夫は、歩合の割り増しを要求して同盟下船ストライキを行った(1)。また同じ頃、漁が出来なくなった村民が、熱海線工事の日雇い人夫として雇用された(1)。
参考資料
- 内田1994:内田輝夫「小八幡漁場をめぐる紛争」播摩晃一ほか編『図説 小田原・足柄の歴史 下巻』郷土出版社、1994、56-58頁
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