小田原駅(おだわらえき、1871年 - 1889年)は、明治初期に、従来の小田原宿を再構成して設置された行政区画。区画構成は変転を経て、1875年(明治8)5月に新玉町万年町幸町緑町十字町の5町に編成された(小田原駅5町)。1889年(明治22)に町村制の施行により小田原町が発足した後も、町名は丁目名として残された。

沿革

明治3年(1870)閏10月、小田原宿本陣脇本陣廃止(3)

明治4年(1871)11月、小田原宿を構成していた通町9町と脇町10町の区画を変更し(3)小田原駅発足(1)。士族町1-3区と町方4-6区の6区画とし、それぞれの区に戸長・副戸長が任命された(3)

明治5年(1872)2月、区画改正で全体を2区に再編成し、士族町の区分消滅(3)

同年11月、大区小区制施行時に、小田原駅の2区は、足柄県 第1大区 小1・2区に改称した(3)

1875年(明治8)5月、第1大区1・2小区副区長の連名で、2区を合町し、士族・平民の区別無く、地理的に5町に区分する要望書を足柄県に提出(『明治小田原町誌』)(3)

足柄県は、要望書をもとに町区画の編成案を作成(3)。戸数600戸を目安に5町に区分し、旧町名の士民の別を固着させるような弊害を廃するため、新名称を付すことになった(3)。(小西正蔭掌記冊』に詳しい経緯が記されている(3)

1875年(明治8)7月、小田原駅は、新玉町万年町幸町緑町十字町の5町に編成された(2)

1889年(明治22)3月29日(4)ないし4月1日(2)町村制の施行により、小田原駅は廃止され、小田原町が発足(2)(4)。同年4月20日、小田原駅5町は、「町」を除いて、新玉・万年・幸・緑・十字の「××丁目」で呼ばれることになった(4)

参考資料

  1. 播摩晃一「明治初年の町や村々」播摩晃一ほか編『図説 小田原・足柄の歴史 下巻』郷土出版社、1994、20-21頁
  2. 「年表」同書148-151頁
  3. 宮坂博邦「町区画の再編と小田原駅五町の成立」『小田原市史 通史編 近現代』小田原市、2001、95-98頁、I 近代 第3章 第2節 宿場の変化と小田原駅五町の編成
  4. 金原左門「小田原町の誕生」同書174-177頁、I 近代 第6章 第1節 「郡区町村編制法」から町村制へ

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