居神神社(いがみじんじゃ)は、城山4丁目にある神社(1)。2021年1月1日現在、神社本庁傘下の被包括宗教法人(1)。
沿革
『風土記稿』のとき、小田原宿の山角町(城山)には、曹洞宗の庭松寺を別当寺とする居神明神社(いがみみょうじんやしろ)があり、山角町と板橋村の鎮守とされていた(5)。
山角町の伝肇寺が所蔵していた天正16年(1588)の文書には、「井神之森(いがみのもり)」の名号が記してあった(5)。
神体
『風土記稿』のとき、山角町の居神明神社は、三浦荒次郎(弾正小弼)平義意の霊を祀っており、神体は、長さ1尺5寸(約45cm)ほどの束帯の像だった(5)。
境内
社殿
『風土記稿』のとき、山角町の居神明神社の境内には幣殿と拝殿があり、その前に石階段があった(5)。
子安地蔵尊
『風土記稿』のとき、山角町の居神明神社の境内には「本地堂」があり、像高3尺2寸(約97cm)、伝恵心作の子易地蔵(こやすじぞう)が安置されていた(5)。
2022年現在、居神神社の境内には「子安地蔵尊」がある(2)。
「本地堂」というからに、地蔵菩薩が居神明神の本地仏かと思われるが、未詳。
庭松寺
『風土記稿』のとき、山角町の居神明神社の別当寺だった庭松寺(ていしょうじ)は、曹洞宗の寺院で、山号を「居神山」といい、板橋・香林寺の末寺だった(5)。開山は、本寺4世・明庵文聡(弘治3年(1557)1月27日没)(5)。
末社
『風土記稿』のとき、山角町の居神明神社の末社には、摩利支天社、金比羅社、牛頭天王社、水神社および疱瘡神社があった(5)。
厄除不動明王
2022年現在、境内に「厄除不動明王」の小祠がある(2)。
神輿堂
『風土記稿』のとき、山角町の居神明神社の境内には神輿堂があった(5)。
首掛松
『風土記稿』のとき、山角町の居神明神社の境内には、径3尺(約91cm)の枯れた松の木があり、首掛松(くびかけまつ)と呼ばれていた(5)。
社伝に、永正15年(1518)7月11日に、三浦義意が北条早雲との戦に敗れて自刃したとき、その首が飛んで、この松の梢に引っ掛かったとされていた(5)。
首は3年経っても眼を閉じず、往来の人がその邪気にあたって命を落すことも少なくなかったので、(久野)総世寺の沙門・忠室が
うつゝとも 夢ともしらぬ 一眠り 浮世の隙を 曙のそら(5) |
と和歌を詠じて怨霊を成仏させたところ、首は忽ち松の梢から落ち、その時、空中で声がして、「今から永く当所の守護神になろう」と聞こえたので、松の下に祠を建て、神として祀った、といわれていた(5)。
土砂災害特別警戒区域
居神神社の境内を含む城山4丁目4-2,4-4の区域(206-H26-305 城山4丁目4-2,4-4)は、神奈川県の土砂災害特別警戒区域(急傾斜)に指定されている(2021年3月19日 告示第150号)(4)。
年中行事
『風土記稿』のとき、山角町の居神明神社の祭礼は、旧暦6月11日だった(5)。祭礼では、1年おきに、神輿巡行が行われていた(5)。
この儀式は、大永元年(1521)に始められたといわれていた(5)。
月日 | 祭礼名 |
1/1 | 歳旦祭 |
2/11 | 祈年祭 |
3月最終日曜日 | 学業成就祈年祭 |
5/4-5 | 例大祭 |
9/11 | 小祭 |
11/23 | 新嘗祭 |
12/31 | 除夜祭 |
資料:神奈川県神社庁(3)
リンク
参考資料
- 神奈川県ホーム > 教育・文化・スポーツ > 文化・芸術 > 宗教法人 > 宗教法人について > 神奈川県知事所轄の宗教法人 > 宗教法人名簿(令和3年1月1日現在) > その他1 宗教法人名簿(PDF:708KB)
- 2022年調査
- 神奈川県神社庁ウェブサイト>神社詳細>居神神社、更新時期不明、2023年2月10日閲覧
- 神奈川県土砂災害情報ポータル 区域図
- 『風土記稿』