山県 有朋(やまがた ありとも、1838年 - 1922年)、山県 含雪(やまがた がんせつ)
経歴
長州藩の足軽の出身(1)。元帥・陸軍大将・従一位・大勲位功一級・公爵の称号を得た(1)。
内務大臣だったとき、1888年(明治21)4月に公布された市制・町村制の施行前に、府県知事に訓令して町村合併の見込みを内申させ、合併の方法・順序の方針を内示するなどして、全国的な町村合併を推進した(2)。
1907年(明治40)、70歳のとき、板橋で別荘・古稀庵の建設に着工(1)。
1910年(明治43)から古稀庵で暮らし、1922年(大正11)2月に同所で没した(1)。
参考資料
- 内田清「古稀庵の山県有朋と掃雲台の益田孝」播摩晃一ほか編『図説 小田原・足柄の歴史 下巻』郷土出版社、1994、34-35頁
- 「第2章 明治22年当時における町村合併」『神奈川県町村合併誌 上巻』神奈川県、1958、79-108頁