2021年1月1日現在、神社本庁傘下の被包括宗教法人(1)。
沿革
『風土記稿』のとき、入生田村には村持ちの山神社があり、村の鎮守とされていた(5)。
1885年(明治18)稿の『皇国地誌残稿』の入生田村の項によると、字・宮沢の山腰289番地に入生田村の村社の山神社があり、祭神は大山祇神(おおやまつみのかみ)とされていた(6)。
什物
欄間彫刻
2022年現在、向拝の欄間に天狗の彫刻が施されていた(写真)(4)。
燭台
2022年現在、向拝に羽団扇型の燭台が置かれていた(写真)(4)。
境内
神楽殿
『風土記稿』のとき、入生田村の鎮守の山神社の境内には、神楽殿があった(5)。
境内社
『風土記稿』のとき、入生田村の鎮守の山神社の境内には、末社の疱瘡神社、第六天社があった(5)。
疱瘡神社は若木権現(おさなぎごんげん)と称していた(5)。文政年間(1818年 - 1830年)に羽州村山郡若木村(山形県東根市若木)の神を移して祀った、とのことだった(5)。
旧後河原村の鎮守の山神社
2022年当時、社殿から少し東に離れた所に鳥居を立てて祀られていた石祠は、1885年(明治18)以降に、旧後河原村の鎮守の山神社が移されたもの(4)(7)。
2022年当時、その他にも境内に由緒不詳の祠や石造物がいくつかあった(4)。
樹叢
『皇国地誌残稿』のとき、社地の槻(ケヤキ)や松の古木は樹齢600年ほどと推定されており、森が鬱蒼としている、と評されていた(6)。
土砂災害特別警戒区域
山神社の境内にかかる宮沢川の区域(41021 宮沢川)および第2宮沢川の区域(41020 第2宮沢川)は、神奈川県の土砂災害警戒区域(土石流)に指定されている(それぞれ2012年5月8日 告示第291号、同告示第289号)(3)。また山神社の境内の一部を含む入生田4-1の区域(206-H26-372 入生田4-1)は、神奈川県の土砂災害特別警戒区域(急傾斜)に指定されている(2021年3月19日 告示第150号)(3)。
年中行事
『風土記稿』のとき、入生田村の鎮守の山神社の例祭は旧暦9月19日だった(5)。
『皇国地誌残稿』のとき、入生田村の村社の山神社の例祭は1月17日だった(6)。
月日 | 祭礼名 |
2/17 | 祈年祭 |
4/17 | 例大祭 |
9/17 | 例大祭 |
11/23 | 新嘗祭 |
資料:神奈川県神社庁(2)
リンク
-
YouTube
- 全国の神社を巡る旅チャンネル「入生田 山神神社 大山祇命 木花咲耶姫命 全国の神社を巡る旅チャンネル」2022年7月22日
- 殿網三五郎「平成29年4月16日小田原市入生田山神神社例大祭」2017年4月16日
参考資料
- 神奈川県ホーム > 教育・文化・スポーツ > 文化・芸術 > 宗教法人 > 宗教法人について > 神奈川県知事所轄の宗教法人 > 宗教法人名簿(令和3年1月1日現在) > その他1 宗教法人名簿(PDF:708KB)
- 神奈川県神社庁ウェブサイト>神社詳細>山神神社、更新時期不明、2023年2月10日閲覧
- 神奈川県土砂災害情報ポータル 区域図(入生田4-1) 区域図(宮沢川) 区域図(第2宮沢川)
- 2022年調査
- 『風土記稿』
- 「足柄下郡 入生田村 山神社」神奈川県図書館協会郷土資料編集委員会 編『神奈川県皇国地誌残稿 下巻』神奈川県立図書館、1964、263-264頁、1885年(明治18)11月16日稿
- 田代道弥「大窪公民館成人講座報告 第2回 昭和55年10月17日 長興山から富士山まで」『板橋周辺の史跡と自然』〈板橋の郷土誌(仮称)編集の資料2〉小田原市板橋公民館、1982・昭和57年、9-10頁