川辺 家信(かわべ いえのぶ、推定1868年 - 1920年)は、酒匂村漁業経営者(1)。元は酒匂村の村長をしていた(1)。32歳のとき漁業経営の道に入った(1)。1902年(明治35)に七福漁業組合を結成し、小八幡地先の沖合での漁業権を取得(1)

同組合は1912年(大正元)に大規模な定置型鰤(ブリ)大謀網の免許も取得し、小八幡漁場の鰤大謀網では、この頃、毎年、大漁が続いたことから、川辺は数年で巨万の富を得て「鰤大尽」と呼ばれた(1)。川辺が46歳の頃だった(1)

豊富な資産で箱根の双子山の土地を買収したり、東海道線の列車を貸し切りにして、地元の政財界人や従業員を連れ、小田原国府津の芸者を同行させて、お伊勢参りをしたりした(1)。村税の納税額が酒匂村の税金総額の30%を占めたこともあった(1)

1920年(大正9)3月、53歳で死去した(1)

 

参考資料

  1. 内田輝夫「小八幡漁場をめぐる紛争」播摩晃一ほか編『図説 小田原・足柄の歴史 下巻』郷土出版社、1994、56-58頁