市制・町村制(しせい・ちょうそんせい)は、1888年(明治21)4月に公布され、1889年(明治22)4月1日に日本全国で施行された、地方自治制度(1)(2)(3)。市町村に地方公共団体としての法人格を認め、首長の選任について限定的な選挙を導入した(4)。
制度導入の前提として全国的な町村合併が進められ、内務大臣・山県有朋は、制度施行前に府県知事に訓令して町村合併の見込みを内申させ、1888年(明治21)6月13日に「町村制施行に関する内務大臣の訓令」(内務大臣訓令第352号)を発出して合併の方法・順序の方針を内示した(3)。
制度の概要
表 市制・町村制まとめ
市町村 |
・公共事務・委任事務を処理する独立した法人として定義 ・条例・規則の制定権付与 |
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市町村会 |
・公選名誉職議員(公民の等級選挙制で選任)で構成 ・市町村に関する一切の事件と委任された事件を議決 |
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執行機関 |
市 |
市長 ・市会から推薦のあった者のうちから内務大臣が選任 |
市参事会 ・市長・助役・名誉職参事会員で構成 ・助役・名誉職参事会員は市会で選挙 |
町村 |
町村長 ・町村会で選挙 |
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資料: (4) により作成
町村合併
神奈川県下では、制度施行に合わせて、従来の177町1,177村が26町294村に統合された(差引151町883村の減)(1)(3:83)。足柄上郡は26村、足柄下郡は1駅1町30村となった(1)。このとき、横浜市が発足(1)。小田原駅5町は廃止され、小田原町が発足した(1)。
参考資料
- 播摩晃一「明治初年の町や村々」播摩晃一ほか編『図説 小田原・足柄の歴史 下巻』郷土出版社、1994、20-21頁
- 「年表」同書148-151頁
- 「第2章 明治22年当時における町村合併」『神奈川県町村合併誌 上巻』神奈川県、1958、79-108頁
- 総務省ウェブサイト>・・・>地方自治制度の歴史、2022年12月28日更新