平成輔の墓平成輔の墓(たいらのなりすけのはか)は、かつて南町・潮音寺の境内にあった平成輔の墓。石の祠があり、傍らに五輪の頽碑があった。(1)
『太平記』によると、元弘元年(南朝・1331)に大和国の笠置城が落城して、後醍醐天皇が六波羅に入ったときに、成輔は生け捕られた(1)。
『増鏡』には「八月廿五日於京就囚」(8月25日に京都で捕虜になった)とある(1)。
翌年(南朝元弘2・1332)5月、河越三河入道円重が成輔を伴って関東へ下り、成輔は22日に早川尻で殺害された(1)。
そのため、当地に葬られた(1)。
参考資料
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『風土記稿』山角町 潮音寺