徳常院 本堂徳常院(とくじょういん)、龍珠山は、本町3丁目にある曹洞宗寺院。本尊は虚空蔵菩薩(6)。元和元年(1615)の創建で(6)、開山は至明宗順(元和4年・1618没)(1)ないし至明良順(6)。開基は不詳(1)。江戸時代には一町田町(浜町)・宝安寺の末寺だった(1)

沿革

明和年間(1764-1772)に火災に罹り、古記録などを焼失(6)

嘉永元年(1848)に19世・素岳大童が再興した(6)

1920年(大正9)に大修繕を行ったが、1923年(大正12)関東大震災で堂宇を焼失(6)

それ以来、仮本堂だったが、1964年(昭和39)に本堂が再建された(6)

仏像

『風土記稿』によると、本尊は三尊阿弥陀で、ほかに、銅造の虚空蔵菩薩像があった。像高6寸7分(約20.3cm)、伝弘法(大師)作。(1)

『全国寺院名鑑』によると、本尊は虚空蔵菩薩立像で、明応年間(1492-1501)に海中から出現したとされている(6)

境内

1970年当時、境内は482坪(約40m四方)、建物は本堂(鉄筋・RC造)48坪(約12.6m四方)、庫裡52坪(約13.1m四方)、地蔵堂7坪(約4.8m四方)(6)

稲荷社

徳常院 境内の稲荷社境内に稲荷社があった(1)

大仏(吉三地蔵)

徳常院 大仏殿(2F)徳常院の大仏は、像の背中の銘によると、江戸・増上寺の塔中にいた心誉常念が正徳3年(1713)に神田鍋町の鋳物師・太田駿河守(太田正義(6))に作らせた銅製の地蔵菩薩(4)。重さ約800貫(3トン)(6)

『風土記稿』巻29 元箱根(下)賽ノ河原○地蔵堂△銅仏の項には「正徳元年(1711)七月、願主常念と刻す」とあり、この大仏のことと思われるが、造立年が若干食い違っている(5)

江戸駒込の八百屋お七の恋人、吉祥寺の寺小姓・吉三郎がお七の菩提を弔うために作ったという伝説から、吉三地蔵の別称があった(4)

もと箱根芦の湖畔の賽の河原に安置されていたもので、箱根権現の別当・金剛王院が管理していた(4)

明治2年(1869)の廃仏毀釈で金剛王院が廃止されることになり、大仏は古物商に売り渡された。これを東京の業者が買い取って運搬する途中に、小田原の町の有志が65両で買取り、徳常院に安置された。(4)

年中行事

浜施餓鬼

毎年(旧暦)7月16日の夜に、海岸で施餓鬼を修行していた(1)(6)。漁業従事者が勧進していたもので、船を浮べて松明を108灯立てていた(1)。『風土記稿』は、すこぶる壮観だった、と評している(1)

トークイベント

2019年10月6日に徳常院で小田原青年会議所 10月例会のトークイベントが開催され、現職の僧侶6人がお布施の現実や葬儀以外の寺の日常生活など、サイコロの出た目に書かれたテーマに従って話をした(2)

寺紋

徳常院 本堂の扁額と扉の寺紋(五七桐寺紋は五七桐(2019年調査)

リンク

参考資料

  1. 風土記稿
  2. カナロコ「寺町」観光資源に 寺院で演奏会など開催 小田原」神奈川新聞、2019年11月11日
  3. 小田原青年会議所 > 事業報告 > 10月例会 「お寺×光の祭典」~令和に始まる寺まちへの歩み~ 2019年10月6日 最終更新2019年10月11日
  4. 境内の案内板「徳常院(曹洞宗)の大仏」設置時期不明、2022年閲覧
  5. 『風土記稿』巻29 元箱根(下)賽ノ河原○地蔵堂△銅仏
  6. 全日本仏教会寺院名鑑刊行会『〈改定版〉全国寺院名鑑 北海道/東北・関東編』同左、1970年3月(初版1969年3月)、p.421