心明院(しんめいいん)は、室町時代早川久翁寺の寺地にあったとされる真言宗寺院(1)

歌会

5巻本『北条記』の巻1「氏綱連歌之事」(2)に、北条氏綱小田原城に在城していた頃、この寺で「千句の連歌」や月次の会などが催されたことがみえる。(1)

その写し(3)

かゝる弓馬合戦の隙なきに、氏綱常に歌道に御心を寄せ、駿河より宗長を節々招越、連歌をそ被成ける。又小田原福田寺の住寺・愛阿と云時衆、勝れたる連歌の達者、又松田長慶も無隠名人也。

 

彼是三・四人、月次の御会有て、かくし名を付、田舎連歌と号し、京にて点を取給ふ。

 

惣じて、時衆の僧、昔より和歌を専とし、金瘡(刀傷)の療治を事とす。依之、御陣の先へも召連、金瘡をも療治し、又死骸をも治め、或は最後の十念をも受け給ひけるほとに、何れの大将も同道ありて賞翫あるとそ聞へし。

 

其比早河心明院にて千句の連歌あり。又月次の会も有り、氏綱も毎度御出なり。

   発句

 菊の露 月にやましら 玉の庭 氏綱

 八千代の椿 秋をふるかな 長慶

 名もしるき 岩の松虫 音にたてゝ 宗長

   又

 更そ行 野辺の鹿の音 夜半月 公融

 下葉うつろふ 庭のむら萩 竹庵

 今朝はかつ 荻の上風 吹過て 氏綱


此外日々の連歌ども余り多きまゝ略之畢。

再建

しかし後年、廃壊に及び、天文15年(1546)に後北条氏の家臣・関善左衛門が、時の領主・北条長綱入道幻庵の許可を得て、その廃跡に久翁寺を建立した(1)

久翁寺が所蔵していた、その時、幻庵が善左衛門に与えた文書の写し(1)

早川之庄内寺屋敷之事、右彼屋敷前心明院屋敷、年貢二貫文、一寺建立之志、依難黙止、末代差置之所分明也、並上山之竹木等、為寺之拘、代官百姓等不可有違乱者也、依後日之証状如件、天文十五丙午(1546)六月卅日、願主関善左衛門入道殿、長綱[華押]

参考資料

  1. 風土記稿
  2. 「氏綱連歌之事」は、『北条記』の中でも、6巻本(『北条史料集』など)や10巻本(国立公文書館(昌平坂学問所旧蔵)本『小田原記』請求番号:168-0065など)には無く、5巻本1種(国立公文書館内閣文庫(林家旧蔵)本『小田原記』など)や同2種(『国史叢書』の『異本小田原記』など)にある。
  3. 国立公文書館内閣文庫(林家旧蔵)本『小田原記』(寛文5年・1665写)請求番号169-0051 第1冊 コマ75。片仮名・合字は平仮名になおし、句読点を補った。