成願寺(じょうがんじ)、[雲牛]徳山(7)(『風土記稿』「耕徳山」(1))は、成田にある曹洞宗の寺院。本尊は釈迦如来(1)(8)。開山は梁屋(恵)棟(明応4年・1495没)(1)(8)。中興開基は心翁清安(寛文7年・1667没)(1)。江戸時代には谷津村(城山)・福泉寺の末寺で、成田村のうち下成田の鎮守・諏訪神社と、村内の阿弥陀堂を管理していた(1)。
沿革
梁屋(恵)棟によって創建され(1)(8)、開創は応仁2年(1468)という(8)。
江戸時代前期に風外慧薫が数年間、住職をしていたことがある(9)。
中興開基の心翁清安(寛文7年(1667)9月6日没)は、成田村の人で、平右衛門と称した(1)。子孫は『風土記稿』の頃まで続いていた(1)。
明治5年(1872)の学制発布のとき、成願寺の弥勒堂に、矢作の春光院に開設された九思館の第1分教所が開設された(10)。(九思館は1876・明治9年に千代へ移転し、千代学校に改組された(10)。分教所の閉鎖時期は不詳。)
明治の中頃の三輪円龍住職は、子供や青年のために私塾を開いており、その頃、高等小学校を中退していた星崎定五郎が友人らと夜学に通っていた(6)。
2006年9月にドイツ・ブルクハウゼンの大悲山普門寺で普山結制・観音懺法・仏像開眼法要が行われたとき、山口晴通住職が渡独して開眼供養を行った(5)。
本尊
本尊の釈迦牟尼仏は、鎌倉末期の作という(8)。
境内
1970年当時、境内は500坪(約40.7m四方)、建物は本堂90坪(約17.2m四方)、豊光堂40坪(約11.5m四方)、庫裡75坪(約15.7m四方)、山門(8)。墓域は500坪(約40.7m四方)(8)。
大鐘
元禄6年(1693)に鋳造されたもの。鐘楼は損壊しており、本堂の軒に掛けられていた。(1)
薬師堂
境内に薬師堂があった(1)。
衆寮
地蔵菩薩を本尊としていた(1)。
白山神社
境内に白山神社があった(1)。
ペットセレモニー
2016年現在、成願寺にはペット用の墓地があり、境内の火葬炉でペットの火葬も行っている(2)(3)。
河野一郎の墓
境内に河野一郎の墓がある(4)。
風外和尚ゆかりの寺
入口左に「風外和尚さんゆかりの寺」と案内表示が出ている(7)。しかし風外和尚が何者かという説明がないので、知らなければ誰だか不明なままである。ウェブサイトには説明があるので(3)、ググれ、ということだろうか。
『全国寺院名鑑』によると、『日本洞上聯灯録』に「江戸初期、風外慧薫が当寺に住し池を掘り竹を植え風致をととのえたり」とあるが、1970年当時、その面影は失われていた(8)。
正覚寺
成田村の西には桑原山正覚寺という寺院の跡地があり、成願寺の末寺だったが、創建や廃寺の時期は不明だった(1)。
寺紋
寺紋は確認できず(7)。
リンク
- 小田原ペットセレモニー ウェブサイト
参考資料
- 『風土記稿』
- 千葉県曹洞宗青年会公式 ホームページ >アーカイブ > これまでの活動報告 > 平成27年度 第4回定例会、最終更新2016年3月17日、arc.
- 小田原ペットセレモニー [arc. 2022/3/26]
- Twitter 河野太郞 2012年7月1日 13:54のツイート
- 横浜善光寺「ドイツ アイゼンブッフ禅センター ドイツ 大悲山普門寺 開創10周年紀念 普山結制・観音懺法・仏像開眼法要」2006年9月6-13日、最終更新:2017年3月2日、arc.
- 小田原市文化部図書館管理係「星﨑定五郎 第3章 積小為大」小田原市公式サイト、2011年4月1日
- 2019年調査
- 全日本仏教会寺院名鑑刊行会『〈改定版〉全国寺院名鑑 北海道/東北・関東編』同左、1970年3月(初版1969年3月)、p.422
- 稲村坦元『曹洞宗人名辞典』国書刊行会、1977、p.23
- さんわ会2000:さんわ会25周年記念誌編集委員会『下府中地域 我が町の今と昔』さんわ会、2000、77頁