集成館(しゅうせいかん)は、文政5年(1822)、小田原藩が、藩士子弟の教育のため、三の丸(本町)に設置した藩校(1)。のち文武館(もんぶかん)と称した(1)。
明治4年(1871)の廃藩置県により、翌5年(1872)4月に廃校(1)(2)。足柄県権令(知事)となった柏木忠俊は、教育の機会が失われないように、文武館を「日新館」と改称し、引続き士族や平民の子供を教育することにした(1)。
参考資料
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高田稔「学制発布と小学校の誕生」播摩晃一ほか編『図説 小田原・足柄の歴史 下巻』郷土出版社、1994、10-11頁
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「年表」同書148-151頁