新光明寺(しんこうみょうじ)、天照山蓮華院は、扇町1丁目にある浄土宗の寺院。本尊は、阿弥陀如来。開山は、鎌倉光明寺22世の僧・良記(貞誉と号す。俗姓は北条氏)。江戸時代には鎌倉光明寺の末寺だった。(1)
沿革
良記が本山で住職をしていた頃、禅宗・東海寺(東京都品川区北品川)の僧・東海和尚が開基した旧跡だったため、永禄2年(1559)に創建して隠棲の場所とした(1)。山・院・寺号は鎌倉の本寺と同じで、寺号に「新」を加えたもの(1)。
『全国寺院名鑑』は、小田原城主・北条氏直(?)が、城に面した高台に1寺を建立し、同年、同氏の俗縁にあたる良記を招いて開山した、としている(2)。
当時は境内1町(約100m四方)余を有したが、後北条氏滅亡後、無檀那となって退転し、堂宇は大破した(2)。
5世・如右が再建、11世・鶴誉檀量は地蔵堂再建に尽力した(2)。
仏像
本尊の阿弥陀如来像は、像高2尺6寸(約79cm)で、運慶蘇生の作、良記が持参したものといわれていた(1)。そのほかに2菩薩の座像(1尺2寸・約36cm)があり、恵心の作とされていた(1)。
また開山像があり、鎌倉期の作とされていた(2)。
境内
1970年当時、境内は205坪(約26m四方)、建物は本堂40坪(約11.5m四方)、庫裡70坪(約15.2m四方)(2)。
地蔵堂
境内に地蔵堂があり、仏像は11世・檀量のときのものとされていた(1)。原文に「夢想に依て、道心求願負来りし像なり」とあるが、よく意味がわからない。『全国寺院名鑑』に、地蔵菩薩は鎌倉期作とある(2)。
鎮守社
弁天神社
『全国寺院名鑑』によると、弁財天像は永禄年間(1558-1570)、清七の作(2)。
浅田紋次郎の墓
境内に、仇討ちで知られる浅田兄弟の弟・浅田紋次郎の墓がある(2)。
杉並学園養護施設小田原分園
1934年(昭和9)11月1日に、寺に、虚弱児童の転地保護を目的とする、杉並学園養護施設の分室が設置された(3)。1952年(昭和27)12月31日に閉鎖(3)。
『全国寺院名鑑』(1970年刊)には、事業として杉並学園養護施設小田原分園に言及がある(2)。
白牡丹広井の墓
境内の墓地に、白牡丹広井の広井家の墓があった。また境内に「広井徳平の碑」があった。その脇の石碑によると、2017年(平成29)5月、広井家が本町を離れることになった際に、同地の(邸宅)前庭(通称:白牡丹)に建立されていた石碑を新光明寺の境内に移したもの。(2022年調査)
年中行事
4月中に法然忌を開催している(2)。
寺紋
寺紋は三つ葉葵。(2019年調査)
リンク
- 「小田原 Ⅵ」史跡訪問の日々、2019年2月19日
- 「小田原 高長寺から新光明寺へ」大佗坊の在目在口、2016年10月27日
- 紋谷幹男「第1723回 新光明寺(しんこうみょうじ)浄土宗/神奈川県小田原市扇町」お宮、お寺を散歩しよう、2015年8月30日
参考資料