新屋御嶽神社(あらやみたけじんじゃ)は、1984年 - 1999年頃、新屋の御嶽講の講元・鍵和田氏の屋敷の坤(南西)に祀られていた神社。
縁起
明治初年(1868)頃、新屋では火災(類焼)による被害が起こりやすかったため、火難・盗難など諸災除の守護とされていた御嶽神社(東京都青梅市)に祈願することにし、5月8日の例大祭にあわせて鍵和田佐七(飯田岡にあった富水村役場勤務)・山口浅次郎、村越新太郎の3人が青梅の御岳に参詣した(1)(2)。
一行は「お犬様のお姿(お札)」をもらって帰り、鍵和田は屋敷の坤の方角(南西)にそれを祀った(1)(2)。
例祭
その時から、新屋の24軒で御嶽神社の講を組んで、毎年3月8日に講中で集まり、赤飯を炊いてお祭りをしていた(1)(2)。
また本社・武蔵御嶽神社の例大祭(5月8日)の前に講中で本山に参詣し、お札をもらって倉庫の入り口に祀っていた(1)(2)。
1984年・1985年・1999年当時の講元は鍵和田辰雄(1)(2)(3)。
参考資料
- 鍵和田照子「新屋御嶽神社縁起」富水西北史談会 編『ききがたり 富水西北の歴史 第1巻』富水西北公民館、1984・昭和59、33-35頁
- ――「新屋御嶽神社縁起」武州御嶽神社『武州みたけ』No.13、1999/9、p.4
- 綾部寿美子他「ムラの信仰・講について」富水西北史談会 編『富水西北の歴史 第2巻』富水西北公民館、1985・昭和60、133-148頁の136頁