日枝神社(ひえじんじゃ)は、小台にある神社(1)。2021年1月1日現在、神社本庁傘下の被包括宗教法人(1)。江戸時代、小台村には寛文9年(1669)創建の村持ちの山王社(山王権現)があったが、1914年に近隣の3社と共に飯田岡の飯田神社に合祀された。1934年に小台出身の実業家・綾部粂次郎の寄附と土地の寄進により、稲荷社と共に日枝神社の旧地に分祀された。
沿革
寛文12年(1672)の『足柄下郡小台村明細帳』によると、小台村に2社ある宮のうちの1社として、由緒不明の山王権現があった(もう1社は稲荷大明神)(7:13)。
『風土記稿』のとき、小台村には寛文9年(1669)創建の村持ちの山王社があり、同じく村持ちの稲荷社と共に、小台村の鎮守とされていた(3)。
1914年(大正3)3月に、小台の字荒井島(1984・昭和59年当時の、小台日枝神社の一の鳥居のあたり)にあった日枝神社は、小台の字屋敷添にあった稲荷神社、柳新田の字屋敷添にあった稲荷神社(柳新田稲荷神社)、新屋の字川久保にあった稲荷神社(新屋稲荷神社、4社はいずれも無格社)と共に、飯田岡の字本村にあった村社・飯田神社に合祀された(4)。
1934年(昭和9)3月に、小台出身の実業家・綾部粂次郎の多額の寄附と、日枝神社の境内地拡張のための5畝(約500m2)の土地の寄進を受けて、(1984年当時の場所に)日枝神社が竣工(4)。飯田神社に合祀されていた小台の日枝神社と稲荷神社が分祀された(4)(5)。このとき、社前の灯籠1対を綾部が寄附し、狛犬1対を横須賀の田中今蔵が奉納した(4)。
1945年(昭和20)8月14日に宗教法人として県の認可を得た(4)。
1990年(平成2)に本社屋根の葺替・修復工事が行われた(6)。
境内
1981年の『神奈川県神社誌』によると、境内坪数は231坪(約764m2)(4)。
稲荷社
1984年(昭和59)・1990年(平成2)当時、境内に稲荷社があり(4:25)(6)、1984年当時、御神体と祠が二の鳥居の傍らに祀られてあった(7:15)。その沿革と境内の跡地については稲荷社旧址 (小台)の記事を参照。
年中行事
月日 | 祭礼名 |
1/1 | 歳旦祭 |
4/1近い日曜日(注) | 春季例大祭 |
資料:神奈川県神社庁(2) 例祭は、綾部1984:21頁にある『神奈川県神社誌』(1981・昭和56刊)の引用文には「4月3日」とある。
リンク
- 「小田原市小台 日枝神社」小田原の端々、2011年7月11日
- 小台囃子太鼓保存会@user-bp6gw1uc4g、YouTubeChannel
参考資料
- 神奈川県ホーム > 教育・文化・スポーツ > 文化・芸術 > 宗教法人 > 宗教法人について > 神奈川県知事所轄の宗教法人 > 宗教法人名簿(令和3年1月1日現在) > その他1 宗教法人名簿(PDF:708KB)
- 神奈川県神社庁ウェブサイト>神社詳細>日枝神社、更新時期不明、2023年2月10日閲覧
- 『風土記稿』成田庄 小台村 山王社
- 綾部1984:綾部寿美子「小台 日枝神社(沿革と縁起)」富水西北史談会『ききがたり 富水西北の歴史 第1巻』富水西北公民館、1984・昭和59、21-25頁
- 著者不明「飯田神社 由来」現地案内板、設置時期不明、2022年閲覧
- 著者不明「日枝神社」現地案内板、1990年(平成2)2月、2022年閲覧
- 市川幸雄「昔の小田原と西北4部落の成立」富水西北史談会 編『ききがたり 富水西北の歴史 第1巻』富水西北公民館、1984・昭和59、10-16頁